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パレルモ、バリの魚料理と初陣アイルランドへの好感

 アドリア海の魚料理

 テーブルの中央に銀の皿があり、その上にナマの魚とエビや貝がのっていた。そのまわりには、パスタや野菜、小魚、マッシュルームなどがそれぞれ銀の器にはいっていた。

 ウエイターは、「すぐこの前の海でとれたのですよ」という。20センチくらいの、そのイサキに似た魚とエビを指して、ミックスド・グリルにしてくれるかというと「イエス・サー」という。

 パスタは、ここのスタイルですというので、それも頼む。トマトと小魚、マッシュルームなどをあしらって、なお野菜サラダもと欲張った。

 フライパンでバター焼きするのでなく、日本と同じ焼き魚、塩味だけで、エビはほんのりと甘味があり、白身の魚も申し分なかった。

 1990年6月23日、イタリア南部、東海岸にある人口38万のバリ市の中心街のパレスホテルのレストラン。チェックインをすませて1階へおりてきたら、まだ開いていたので、これ幸いととびこんだのだった。

 すっかり満腹して部屋にもどり、ここ2、3日をふりかえる。

 ワールドカップは、2日前の6月21日に1次リーグを終わり、この日から第2ラウンドにはいっていた。

 この大会の取材の基地をミラノにおいている私は、6月19日にミラノでD組の西ドイツーコロンビアを観戦。“律儀(りちぎ)”なドイツ人と“捕らえ所のない”コロンビア人の、まことに見ごたえのある試合を満喫した。

 6月20日は、ミラノからプレスバスでトリノへ往復。ブラジルが雨中に強いスコットランドをシュートで突き放した。

 つぎの日、6月21日はパレルモにとんで、F組のオランダーアイルランドを取材した。フリットのオランダは、この大会で2度目、アイルランド代表をナマで見るのははじめてだった。


 フリットの得点、アイリッシュの粘り

 F組は、それまで4チームがすべて引き分けを演じていたから、この日で一気に順位が決まるというスリリングな形勢で、まずオランダがフリットの突破で1-0として優位に立ったが、後半にDFラインの背後にとんだロビングを落下点での処理にミスがでて同点ゴールを奪われてしまった。あと10分というところで、サルデーニャ島カリャーリでイングランドが1-0でエジプトをリードしているとの情報がはいって、パレルモのファボリータ競技場は、引き分けムードになってしまった。

 勝ち試合を引き分けにしたエラーの本人、オランダのGKファンブロイケレンが記者会見で話しているときテレビのニュースが第2ラウンド1回戦の組み合わせを伝え、オランダが抽選でF組3位となったため、いきなり西ドイツと当たることを知らせた。

 このゲームでは、フリットが6月12日のエジプト戦よりも調子が良いようにみえた。彼のW杯初ゴールは、パスをうけて前方のキーフトにパスを出し、リターンをもらって割って入ってシュートしたのだが、ワンタッチでカベパスを処理し、広いリーチを利しての前進は、「なるほど、これがフリットのスタイルか」とヒザを打つ思いだった。

 アイルランドも、ジャッキー・チャールトン監督の戦略が、単純明快で、選手たちにもよく意図が浸透しているようで好感がもてた。 W杯やヨーロッパ選手権といった国際ひのき舞台には、これまで予選のカベを越えられなかったアイルランド協会が、1966年W杯に優勝したイングランドのストッパー、J・チャールトンを監督にもってきたのが1984年秋。ボビー・チャールトンの“華麗”とはことなり「それほど技術は高くないが、相手のFWに仕事はさせなかった」ジャッキーは、自分の信条をチームに植えつけ、攻めでは相手DFラインの背後へロビングをあげることに徹した。シーディやクィンといった長身で、柔らか味のあるプレーヤーのいたのも、あるいはアクセントになったかも知れないが、そのひたむきな姿勢は、88年欧州選手権のベスト8入りと、このW杯での第2ラウンド進出を生み出した。


 歴史の宝庫パレルモ

 6月22日、試合の翌日は、グリーン(アイルランド)とオレンジ(オランダ)のサポーター大軍団が、ジェノアへ、ミラノへと北上するため乗り物は満員、わたしは移動をもう1日ずらした。

 前日は市内のホテルが超満員で予約できなかったのをサッカー・マガジンの国吉記者たちの部屋が広くて、ベッドをもう1つ入れられるという好意に甘えたのだったが、次の日はどこもガラガラ、ホテルを移って、ゆっくり休養をとった。といっても、じっとしているわけはなく、タクシーを走らせて町から7キロ離れた山中のモンレアーにある寺院を見にいったり、書店をのぞいてシチリアとパレルモの地図やガイドブックを買ったりした。

 パレルモは紀元前に航海に長じたフェニキア人が、この湾を港として利用した。ついでギリシャ人がやってきた。静かで心地よいこの湾を「パノルムス(PANORMUS)──すべての港」と呼んだという。ついでカルタゴ人が支配し、そのカルタゴを滅亡させたローマ帝国の勢力下にはいる。それが紀元前254年という、いささか気の遠くなる昔の話。それから1000年たつとアラブ人─さらには紀元1072年にはノルマンがシチリアを押さえ、パレルモを都とする、といった調子で多くの異文化がかさなってゆく、そのあとドイツのスワーピアン王朝や、フランスのアンジェー家、スペインのアラゴン家もやってきた。こうして地中海の要衝の地は多彩な文化が混合し、ユニークな伝統をつくりあげる。

 ホテル・アストリア・パレスの1回の陳列棚にあるハンドバッグやウエアは、ミラノ・ファッションではなく、パレルモの、シチリアのデザイナーの作品だった。

 もっともテレビをつけるとTG2というシチリア放送は、シチリアでの対マフィア作戦についての警察のとりくみを報じていたのはさすがにマフィアの本場らしい。

 テレビといえば、22日は試合がないので、大会の実況はなく、その時間帯のRAI=UNO、つまり国営テレビの第1チャンネルはローマのコロシアムに舞台をしつらえたボリショイ・バレーの特別公演を放映していた。

 舞台のバックに森をしつらえていたが、その背後に、コロシアムの柱が見えて、まことに豪華。ボリショイもペレストロイカのせいか、官能的なアモーレや、モダンバレー風カンカンもあった。


 地中海の北上し、アドリア海を南下

 6月23日は4時に起きてタクシーで6時に空港についたが、チケットカウンターはもう人の列。15分並んでチケットを購入する。

 ナポリやローマまでの便は満席のため、パレルモからミラノへとび、そしてまたミラノからバリへゆく、直線なら500キロそこそこの町へゆくのに、2000キロの大迂回になるが、同じ日に、地中海側を南から北へ、アドリア海側を北から南への飛行は、きっと景色のいい旅行になるだろうとひとり悦にいっていた。

 午前7時すぎ離陸のBM1083便は、アイルランド人が多く、わたしの席の後ろのおじさんは、前夜の痛飲がこたえたのか、ゲップの連発で苦しそうだった。

 早朝の地中海はすばらしく、パレルモの離陸直後にウスティカの小島、さらに、ポンサ島とイタリア半島の長クツのスネのあたりの沖を北西に向かい、コルシカ島を左にみる。ずいぶん大きな山がある、島という印象、港があったのはフランス・リーグ(コルシカ島はフランス領)のバスティアのある市だろうか。

 こんな西側を景色を眺めての飛行から、3時間たらずの間にまた飛行機に乗るのだった。

 ミラノから東南へ向かった機は、フィレンツェで機首を大きく左へ(東へ)振り、半島を横切る。

 海岸線へ出たら、アンコーナの上空、ここで右へターンして、南下をはじめる。右側の席だからイタリア半島の景色はたっぷり見せてもらえた。この国の上空を飛ぶたびに、山の多いのに驚くが、半島の東からの景観も、しばらくは山のつらなりだ。ミラノやトリノの北イタリアの都市からアルプスの巨大な山塊が見えるが、この半島の中央部のアベニン山脈も素晴らしい。はるか向こうに一段高く見えるのがグラン・サッカソー(大きな岩山の意味)山群か。最高峰コルノ山は2914メートルと地図に書かれている。

 左手にはアドリア海の向こうにユーゴスラビアのバルカン半島が見えるのだろうか。

 やがて機首を下げはじめると小さな半島を突っ切り、潟湖を眺めて洋上から陸上にはいり眼下に広い町が広がっていた。

 空港のW杯オフィスで教えられたとおり、町の中心部までの9キロは空港バスに乗って鉄道の中央駅へ、ここでタクシーを拾ってホテルへ。


 「日本人と同じで生魚を食べるんです」

 パレスホテルは設備もよく、隣がプレスセンターになっている。プレス係の通訳の1人が日本にいってみたいと思う。日本へ行ったら有名な「おスシ」を食べたいと言う。

 バリでは日本と同じようにマナの魚を食べるのですよ。だからおスシに憧れている。といって、アドリア海側で、すべてナマ魚を食べるのではない。このバリだけなんです──との話。

 このバリでは、今度の大会のため市営スタジアム(スタジオ・コムナーレ)が新設された。収容力56,874人、人口36万人の町、この地を本拠地とするASバリは、今は一部にいるが1908年の創立いらい82年間の大部分は2部にいたクラブ。そこにビッグ・スタジアムをつくったのだから市当局のこの大会にかける意欲も知れる。

 イタリア人の集落がやがてギリシャの植民地となり、ローマ帝国の都市となって東方(レバンテ)への交通の要地とし栄えたバリは、東方貿易の基地でもあった。東欧が大きな変革をはじめるとき、ユーゴの対岸にあるこの町もまた重要さを増すだろう。

 第2ラウンドのはじまる前に、未知の土地を訪れ、未知の海の魚を食べ、パスタを食し、そして、サッカーにかけるこの地域の意欲を知る。満ちたりた気分は、1次リーグでのいくつかの不満を消し、迫ってくる一発勝負への期待を強めるのだった。

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