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ミラノのビデオ室で見たマラドーナの「一瞬の決断」

 プレスセンターのビデオ室で

 アルゼンチンの国歌の吹奏にあわせてマラドーナの口も動いていた。画面にうつる彼のクローズアップを見ながら、W杯でマラドーナを見るのは、これが最後になるかもしれない──と思った。

 1990年6月24日、ワールドカップ・イタリア大会は、第2次ラウンドにはいり、1次リーグを勝ち残った16チームがKO(ノックアウト)システムで頂上をめざしていた。

 前日の23日、わたしはイタリア半島の南西部のバリにいた。アドリア海に面したこの町で、チェコがコスタリカに4-1で大勝するのを取材し、地中海側のナポリでカメルーンが延長のすえ、イギータのコロンビアを倒すのをテレビで観戦。この日の朝、7時40分バリ発のBM309便でミラノに9時50分に戻り、空港からプレスセンターへタクシーでかけつけ、日本の新聞社へ原稿をFAXで送っておいて、いったん、中央駅に近いヴィアーレ・ザーラ(ザーラ大通り)一番地のアパートに帰り、雑用をすませてから、午後3時すぎに再び、サン・シーロのメアッツァ競技場へ。

 もちろん、午後9時キックオフの西ドイツーオランダ戦を見るためだが、午後5時開始のブラジルーアルゼンチン戦のテレビも、もうひとつの仕事でもあった。

 16チームによる1回戦は、1日に2試合、午後5時、午後9時のキックオフだから、140キロ西方のトリノからなら、タクシーを飛ばせば間に合う──だから2試合をナマで──という勘定もできたが、ゲームは延長、PK戦もあり得ることや、試合直後、直前の、それぞれの混雑などを考えるとムリはできず、調子が回復し始めたフリットのオランダと西ドイツの決勝をナマで、マラドーナとブラジルはテレビでということにした。そのテレビ観戦も、自分のアパートでなく、競技場に隣接したプレスセンターがいい。試合の2時間前に家を出たのでは交通渋滞に巻きこまれてしまう。もうひとつ欲をいえば、プレスセンターでもワーキングルームの大広間でなくビデオ室の方が見やすいし、椅子も楽だ。ただしこのルームは16しか椅子はないから、早いうちに占領しておかなくてはならぬ。

 そこで私は、トリノの試合のキックオフの1時間前にプレスセンターのビデオ室にはいって、1次リーグのオランダの試合のビデオを借りてきて復習し、あわせて、席を確保した。


 ブラジル両サイドの攻撃

 午後5時、フランス人、キニウ主審の笛でブラジルがキックオフ。
 わたしは、試合メモ用の大判のノートを開いてメモをつける。

 そのメモのはじめに、こう書いている。

 「いきなり、ARG(アルゼンチン)のピンチ。カレッカがドリブル、S(シモン)がタックルにいってかわされ、GKがとび出して左CK」──

 この左CKからアレモンがロングシュートしてハッとさせる。

 ブラジルの一人ひとりの早さが断然まさって、両チームのコンディショニングの差が歴然とする。

 マラドーナは10分までに2度ボールを持ったが、一度は奪われ、一度はファウルで倒される。彼のパートナーになるはずのブルチャガは3回もボールを奪われた。

 相手の寄ってくる早さに、コースを押さえられ、といってドリブルで逃げるには、2人とも体にキレがない。

 ブラジルは右サイドからジョルジョーニョ、左からブランコが攻めあがる。広く両サイドを使う展開は、軽快で、狙うパスは正確だ。

 右CKの惜しいチャンスがひとつあったあと18分に、ドゥンガのヘディングが左ポストを叩く。

 ブルチャガを囲んでボールを奪ったブラジル側が、カレッカに渡し、彼が左へ振り、ブランコがうけて、左からカーブのかかったクロスを入れる。

 カレッカがニアポストに飛び込んでシモンをひきつけ、中央のジュスティをこえてきたボールをドゥンガがヘディングした。柔道なら“ワザ(技)あり”というところだ。

 30分にトログリオのドリブルシュートがあって、これがアルゼンチンの初シュートだから、全くワンサイドの形勢。

 相手のスピードについていけないオラルティコエチェアが三度目の反則をし、ジュスティが相手を倒すと、BBC(英国放送)のアナウンサーは、アグニー(みにくい)とさえいう。

 (ビデオ室は、イタリアの放送とともに、BBC放送をも録画するので、わたしから3つ目、右手のテレビはBBCを流している。その声が大きいので、ボクの耳は、そちらに傾くことになる)


 故障のマラドーナだが・・・ 

 30分をすぎるとブラジルの動きが小さくなる。広いスペースへ走られると、その早さにやられてしまうアルゼンチンだが、せまいスペースでは五分の奪い合いになる。

 40分にマラドーナらしいプレー。ハーフラインの内側(自陣)で、味方ゴールを向いてキープし、3人にかこまれながら、トログリオにバックパス。

 トログリオは一気にドリブルで進む。ピンチとみてブラジルが反則で止めて、ペナルティーエリア右角付近でFK。

 マラドーナがいいタマをけってアルゼンチンの2人の頭上にあわせ、右CK。

 キッカーはやはり、マラドーナ。ブラジルが防いで、このリバウンドをシモンがマラドーナにパス、うけたところをアレモンが強いタックル、マラドーナが倒れている間に、拾ったシモンが右からハイクロス、ルジェリのヘディングが右ポストわずか外へはずれた。

 この間、マラドーナは倒れたまま。起きあがったときの動作を見ると、足よりも肩を打ったらしい。

 もともとヒザの悪い彼は、ルーマニア戦で左足首を痛め、それをさらに練習中に悪化させ、ブラジル戦の直前にも、ほとんどチームとの練習は行っていなかったという。

 したがって、試合の前半は、押しこまれているときも、積極的な守りにはいかず、相手のコースに立つだけで、ボールにもあまりさわらず、攻めこむときも、長くボールを持つことは少なかった。この右サイドでの転倒は、チャンスとみてせりにいってハードタックルをうけたのだが、その際も、足首をカバーして上半身をむずかしくひねったようにみえた。


 ナポリの仲間達

 タックルしたアレモンがナポリの仲間であるマラドーナを気遣う様子が画面にうつっていたが、そのすぐあと、やはりナポリにいるカレッカが、ジュスティのGKへのバックパスを奪って、あわやという場面を生み出した。

 カレッカは後半12分にも、またまたアルゼンチン側をヒヤリとさせる。左サイドをタテに深くドリブルし、中への速いクロスはGKゴイコチェアのけんめいのタッチでクロスバーに当たって右に流れ、そのかえりを拾ったアレモンの強シュートもゴイコチェアがはじき、それがポストに当たって外へ出て右CK。

 これだけ攻めて、これだけすばらしいシュートをしながら得点が生まれないとは──。

 少しずつブラジルの動きの早さが鈍り、運動量が落ちはじめると、アルゼンチンのボールキープがふえる。4年前の優勝経験者たちは、かつての速さはなくても、静止の状態から、突如として走り出すのがうまい。

 そんなプレーでブルチャガがシュートチャンス。ボールは強くなくて、タファレルがセービングでCKに逃げたが、一瞬、なぜブラジルの守りが簡単にシュートさせるのか、と目を疑う。

 32分にリカルド・ゴメスに対するファウルでブラジルが左よりのFK。ブランコの得意のコースだったが、アルゼンチンの3人でつくったカベに当たってしまう。

 ブランコのFKは、直撃されたプレーヤーが倒れるほど強いはずなのだが、このときは、それほどでもない。

 どうやらブラジル側に疲れが出はじめたらしい。


 三人を抜いて、かこまれてパス

 相手のスローダウンを見すかしたように、マラドーナのボールタッチがふえ、彼がからむと、ボールがイキイキしてくる。34分にマラドーナとカルデロンとのパスで攻めこんだあと、36分に驚くべきシーンが生まれる。マラドーナのドリブルの突破と絶妙のパスだ。

 ハーフライン手前、中央やや右よりの位置で後方からボールを受けたマラドーナは、左半身(右肩を前に)、左足内側でボールキープという、得意の型にはいると、まず、左足の切りかえしで、一人をはずしてハーフラインをこえ、追走するもう一人を振り切って3人目をタテにはずし、それと併走。自分の前方の三人(右前、正面、左前)の敵の注意を引きつけながら、左斜め前(ゴール正面)へパスを送る。彼の右足からくり出されたボールは、左前を走るマウロ・ガウボンのマタの下を通って中央へ、そこには、マラドーナがドリブルしているうちに、右サイドから、ゴール正面へ移動したカニーヒアが、ノーマークでいた。

 ゴールの真正面、ペナルティーエリアのラインでボールをうけたカニーヒアは、とび出してくるGKタファレルを落ちついて左へかわし、左のインサイドキックで無人のゴールへボールを送りこんだ。

 プレス・センターでもワーッという声があがり、ビデオ室も騒然となる。

 信じられない失点にブラジル勢も、しばらく呆然。その錯乱が、こんどはカニーヒアへの過度のマークとなって、彼が後退してパスをうけるとみせ、そのウラへバスアルドが第2列から突進するというシンプルな動きに、完全に守備陣が破られ、追走したリカルド主将が後方からトリッピングして「赤」を出されて10人となってしまった。

 アレモンとマウロ・ガウボンに代えてシーラスとレナトを投入したブラジルの攻めは、2分19秒のロスタイムを加えて、このあと、10分近くつづいたが、カレッカのヘッド、ミュレールのシュートがはずれて、ついタイムアップ。


 クリス・クロスの動きが出たカニーヒア

  「マラドーナは痛み止めの注射を打たなければ、とてもプレーできる状態ではなかった。もし試合中に、誰かが彼の足をけったら、とても試合を続けられたかどうか」とは試合後のビラルド監督の話だが、そんな状態(マラドーナはハーフタイムにも痛み止めを打ったといっている)だったから前半はどちらかというと、あまりボールをさわらず、また守りでも修羅場(しゅらば)に入り込まなかったのだろうが、わたしの記憶では、彼がハーフラインをこえてボールを持ったのは前半だけでも3回ぐらい。それも無理をしていない。

 それが、後半の、あの時期に突然、ハーフラインから長いドリブルをし、相手にからまれながら倒れずに、このタイミングしかないというときにパスを出す。

 全体の試合の流れを読む能力といえば簡単だが、一瞬の決断で、最良の時と、最良のプレーを選択するマラドーナを、あらためて見る思いだった。

 そしてまた、’87年コパ・アメリカ(南米選手権・アルゼンチン開催)のときに初めてプレーを見たカニーヒアが、当時のタテへの鋭さだけのプレーから、この日の得点のように、味方の動きとクリス・クロス(交差)する斜行ができるようになったのはすばらしい。

 もともと攻撃のときの「斜行」「クロス」はビラルド監督が’86年優勝チームで実行した戦術のひとつだったが、それをブラジルという強敵を相手にした舞台で実演したカニーヒアは一段上のプレーヤーとしてのステップを踏みに違いない。

 抱き合い、喜び合うアルゼンチンのイレブンやコーチ陣を画面で見ながら、不運なブラジルの敗退を惜しむ一方、マラドーナを、また見ることができると、ホッとするわたしだった。

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