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個性を組み合わせ、「巨象の墓場」を突破したイタリア

 10年前の催涙弾とフーリガン

 あのときは、トリノだったな──。

 記者席のあるスタンドからみて、右手のゴールうしろのイングランド・サポーター、左手ゴールうしろのベルギーのサポーターを眺めながら、ふと10年前を思い出した。

 1980年のヨーロッパ選手権の1次リーグでイングランドとベルギーが戦い、試合中にイングランドのサポーターたちが暴れたこと、しずめようとした警官たちが催涙弾を発射したこと、スタンドの騒動そのものはたいしたことはなかったのに、催涙弾の煙のためにプレーヤーが目を痛めて5分間、試合を中断したこと──。

 試合は1-1で引き分けだったが、このサポーターの騒ぎで、イングランドのチームそのものの調子が下降したこと──英国のサッチャー首相がコメントを発表して自分の国民の非礼を謝ったこと──。

 1985年、ブリュッセル(ベルギー)のヘイゼル・スタジアムの悲劇以来、イングランドサッカーといえばフーリガン(ならず者)がセットになった感がある。

 それだけに、今度の大会ではフーリガン対策が徹底していて、予選リーグのときも、まずまず、大きな騒動も起きていない。

 ここボローニャでも、郊外のキャンプ場に彼らを隔離し、競技場へは特別のバスで送迎するらしい。市や警察や大会関係者にとってはずいぶんな労力だが、すべての観客がサッカーを楽しむには、そうした手配も必要となる。


 巨像の墓場

 1990年6月26日、イタリアW杯は第2次ラウンドの1回戦の最終日となり、ベスト8のうち、すでに6チームが決定していた。

 敗退したなかにはブラジル、オランダのようなサッカー超大国があり、南米の新勢力コロンビア、巧技のルーマニア、そして伝統のウルグアイもあった。フランスの雑誌は、大物や強豪の倒れた1回戦に「LE CIMETIERE DES ELEPHANTS」(象の墓場)という見出しをつけた。

 その激戦を追って私は、▽6月23日 バリ(チェコ−コスタリカ)▽24日 ミラノ(西ドイツ−オランダ)▽25日 ローマ(イタリア−ウルグアイ)と、飛び歩き、この日、ボローニャにやって来たのだった。

 前日のイタリア−ウルグアイは、ウルグアイの専守防衛で前半0-0だったが、後半イタリアがベルティに代えてヘディングの強いセレナを投入した効果があらわれて2点を奪い、2-0で第一関門を突破した。

 イタリアのひとりひとりのボールを持つときの形の美しさと、動きの早さ、そして、高いボールテクニックを駆使してのパスの巧さと、ウルグアイの“土”の臭いのする、どこか田舎(いなか)めいて、それでいて生まれついてのボール扱いの高さと体の強さとの対比が楽しかった。


 バレージのロブ攻撃

 得点に直接からんだのは、まずスキラッチの走り込みと左足のダイレクトシュートだが、後半20分のこの1点目の前に伏線がいくつかあった。

 それはまず後半7分の(前述の)セレナの起用。セレナは85年トヨタ杯でプラティニのユーベントスのCFとして来日したことがあり、183センチの長身でヘディングに自信を持つ。

 代わった直後の彼の頭上へまずバレージが長いロブを送った。それまでの相手と違って、自信満々で高いボールの落下点へはいってくるセレナをみてウルグアイのDFは警戒の念を強めたろう。

 第2伏線は、そのセレナの最初のヘディングプレーの直後に、バレージが、ゴール正面への長いロブ(自陣25ヤードから)を送ったこと、それを、やや右よりから走りこんだスキラッチがノーマークでシュートしGKが防いだ。

 スキラッチをマークしていたデレオンは、相手のスタートダッシュを見送っただけ、右よりのグチエレスが落下地点へ走ったが、スキラッチよりも遅れた。それまでずいぶん堅固にみえたウルグアイの守りの正面、デレオンとグチエレスの2人のCBにもポカッと穴があくことを、このときスキラッチは感づいたと思う。

 前半のイタリアはバッジオが下がり目でボールを取るから、トップはスキラッチ1人。それが、セレナがはいって、2トップとなり、セレナが左にあらわれると右FBのサルダーニャでは高さに負ける。したがってグチエレスは、セレナの動きに気を取られる──という状態になりはじめていた。


 スキラッチとセレナ

 1点目の得点経過はGKゼンガの大きなパントキックを25ヤードやや右よりの落下点でバッジオが、ダイレクトで右足アウトサイドで短いパスをセレナに。セレナはこれもダイレクトで前へ流す。そのボールが、ちょうど接近しようとしたグチエレスの足の間を抜けてゴールの方へ転がる。スキラッチのスタートに、遅れたデレオンが追走するが届かず、右サイド(守りの)のサルダーニャが外から走りよる前にスキラッチの左足がボールをけった。

 小さなパスをつないで外側から、中央からと、何回となく攻めたイタリアが、GKのパントキックからの短い2本のダイレクトパスで一気にシュートにはいってしまうところが、サッカーの不思議さだし、正面守備に自信のあったはずの守りの組合わせが無残に崩れてしまうのもサッカーということになる。

 2点目は、この18分後、右寄り20ヤードのFKをジャンニーニが、正面左よりにロブを送りセレナがグチエレスとせり合いながらみごとにヘディングシュートをきめた。

 このFKはその3分前に起用したビエルコウォドの突進に対する反則で得たもの。ビチーニ監督としては、打つ手がすべて当たって気分は満点だったろう。「チームゲームは個性の組み合わせ」──バッジオの細かいステップ、スキラッチのとび出し、セレナのゆったり見える動作と高さ──といったものが、みごとに作用したモデルだったが、セレナの上達ぶりもうれしいひとつだった。


 イングランド、イングランド

 そのローマから、この日の朝9時のAZ70便でミラノにつき、レジデンツ・ザーラ(1カ月契約で借りたアパート)へもどってシャツを着替え、午後1時55分ミラノ駅発のIC(インター・シティ)でボローニャに午前3時38分に到着したのだった。

 ボローニャはヨーロッパ最古の大学のある落ちついた町。人口48万、1909年創立のボローニャ・フットボール・クラブもある。確かユーベントスで馴染み深い左サイドのDFカプリーニがいたハズだが・・・・・・。その本拠地スタジオ・ダル・アラは、W杯のため大改装し、従来のスタジアムのレンガ色の外壁はそのままに、その外に鉄骨のヤグラを組んで拡張した。新しい部分と昔からのものが、奇妙に共存しているところが面白い。

 フィールドの周囲に陸上競技のトラック(8コース)があるが、スタンドの傾斜が急なために、プレーは近くに見える。

 その緑の芝がライトに映える午後の9時にはじまったゲームは、まさに巨象の戦い。

 赤のベルギーと白シャツ・紺のショーツのイングランドが120分間を存分に戦った。

 ライトとウォーカーで正面を固めるイングランドの守りの強さ、それをくずそうとするベルギーの攻めの多彩さが楽しい。イングランドは左利き長身のワドルが右サイドへ持ちあがり、ガスコインがタフな動きでチームを、ひっぱる。リネカーはあいかわらず相手に脅威を与え、バーンズは細かい技術で相手を悩ます。

 右の攻めを助ける小柄な黒人パーカーはスピーディーで、ワドルの大がらで、しかも小さなステップとみごとにかみあう。

 こんどのチームには、このパーカーとバーンズとDFのウォーカーと3人の黒人がはいっているが、彼らの体質からくる特色あるプレーが、イングランド・スタイルに、新しい味つけを加えている。

 しかも、チーム全体が予選リーグの最終戦に勝ったことで気分は盛りあがっている。大ベテランのブライアン・ロブソンがケガで戦列をはなれたが、彼の抜けたあとを、どう埋めるかの工夫が、かえってチームの団結を強めるのは、’86年メキシコの例もある。

 わたしが、ひそかに高く評価しているベルギーと互角にわたり合うイングランド、クーレマンスのシュートがポストを叩き、クラエセンの俊足でかきまわされても、気落ちすることなく攻めかえす。


 ガスコインの精妙なチョップキック

 スタンドのサポーターたち、フーリガンが思ったより暴れなかったのは警備のうまさもだが、自分たちのチームのがんばりに心うたれたのではなかったか──。

 90分を終わって0-0、延長も後半にはいって、個人的な突進が目立って多くなり、この分なら決着はPK戦かと、わたしたちは思いはじめたときに、イングランドがFKのチャンス。

 ガスコインがドリブルで突破するのに対してファウル。やや左より30メートルの位置からガスコインがみごとなチョップキックで、ボールをゴール正面右よりへ送り、山なりの曲線を描いて落下してくるボールを、プラットがうしろむきにとらえ、反転シュートでゴール左へ決めた。

 FKのキッカーのガスコインは、強いタマやロブ、ライナーをけれるが、このときのチョップキックは、高さ、コース、スピード(スロー)ともに申し分なかった。

 「タフで頑健が売り物のこの男が、こんな柔らかいタマをけるとは・・・。やっぱりプロフェッショナルだ」と私はメモに書きこんでいる。

   *   *   *

 この日のもうひとつの試合でユーゴはストイコビッチの回生のシュートで勝ち、イベリア半島の大国スペインが脱落した。

 イタリアW杯は「巨象の墓場」に哀惜を残しながら、ベスト8による準々決勝へと進んでゆく。

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