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”奪う”重要さを教えたデナポリのスライディング

 ビデオでの復習

 「昨日の試合のビデオを見たいんだ。イタリアーアイルランドのをネ」「イタリアーアイルランド、イエス・サー」
 答える声がはずんでいた。

 ミラノのプレスセンター、試合前のいつものあわただしさのなかで、館内全体はイキイキしているようにみえる。

 1990年7月1日。6月8日に始まったワールドカップは、最終のステージに入り、前日の6月30日に準々決勝2試合を行った。

 ひとつは“花の都”フィレンツェでの、アルゼンチンーユーゴ(午後5時)。

 もうひとつは“永遠の都”ローマでのイタリアーアイルランド(午後9時)。

 そして、この日、

 ミラノで、5時から、西ドイツーチェコ。ナポリで、9時から、カメルーンーイングランドが行われることになっていた。

 わたしは、前日、フィレンツェで、アルゼンチンが延長を終って0-0の同点のあとPK戦でようやく勝つのを見た。第2ラウンド1回戦の対ブラジルでみごとな“必殺パス”を成功させたマラドーナが、まるで元気がなくて、PKまで失敗する苦境をGKゴイコチェアが救うという予想外の展開だった(前号参照)。

 ゲームのあと、フィレンツェの中央駅(サンタ・マリア・ノベッラ)に近いロンドナというホテルにとまり、その夜9時からのイタリアーアイルランド戦をホテルのテレビで見た。次の日、つまり、この7月1日、鉄道でフィレンツェから、ミラノへもどったのだが、イタリアの試合で、ちょっと確かめたい場面があったので、プレスセンターとビデオ室へやってきた、というわけ。


 花の都のかけ足観光

 実は、この日、フィレンツェを発つまでの短い時間、タクシーにたのんで“花の都”をかけ足観光した。

 ルネッサンス芸術そのものが町だといわれるフィレンツェについては、日本でも、すばらしい出版物やNHKテレビでの紹介などがあって、わたしたちも、少しずつ知識を増してるのに、わたし自身はここを訪れるのがはじめて──。

 赤い屋根と大理石の幾何学模様のドゥオーモや八角形の洗礼堂などの建築は、写真で見るとおりだが、下から見あげ、あるいは離れた通りに立ち、建物と建物の間から、その一部を眺めてみた。

 アルノ河にかかるポンテ・ベッキオは宝石店や銀細工の店がならぶプロムナードだが、戦中派のわたしには、第2次大戦後、まもなく日本で上映されたイタリアン・リアリズム映画で、この橋をはさんでの米軍とドイツ軍との戦闘場面を見た記憶があるだけに、感慨もあった。あの映画を見たときに、橋の上に建物があって、美術品が置かれている、というイタリアの発想に驚いたのと、ナチス・ドイツの軍隊が、他の橋は爆破したのに、この古い(ベッキオ)橋(ポンテ)は破壊しなかったのを不思議に思ったのだが・・・・・・。

 「都市が美術館」とはNHKのフィレンツェ・ルネッサンス全集のサブタイトルだが、そんな町を見るのに1日や2日ではとても足りるわけではない。まして、サッカーのそれもワールドカップという過密日程の合い間では、どうしようもないが、かけ足観光は、ともかく肉眼で見た、この足でアルノ河の橋に立ったという、小さな満足と、この次には「もっと、日数を」という、ますますの憧れを残した。


 スキラッチのゴール

 さて、わたしが、この日の試合までの短い間に、確かめておきたいイタリアーアイルランドのシーンは──前半37分のイタリアのゴールのところ。

 ローマのオリンピック競技場で、満員の大声援をうけたイタリアが、はじめのうちアイルランドの攻撃にたじたじとなる形だったのを、ドナドニのペナルティー・エリア外からの強シュートをアイルランドのGKボナーが前に落としたのを“トト”スキラッチが、みごとに拾って、ダイレクト・シュートを右下すみに決め、これが決勝点となったのだった。

 ホテルのテレビでも、このシーンは繰り返しの部分があったから、ドナドニのシュートに至るまでに、バッジオがドリブルで進み、スキラッチにパス、スキラッチが相手DFラインを背にしてバックパスをし、それをバッジオの左へあらわれたジャンニーニがうけて、ひとつ右へ持ちかえてから左へ流し、ノーマークのドナドニがワンストップの強シュートを放ったことも、十分に見ることができた。わたしが知りたいのは、そのバッジオのドリブルまでのプレー、たしか、だれかが、相手FWのボールを奪ってバッジオにわたしたとの記憶があるのだが、それがわからない。そこでビデオということになった。


 デナポリのタックル

 再見した試合の流れはこうだった。35分ごろにデアゴスティーニのファウルに黄色が出された。25ヤードあたりのアイルランドのFKは当然ロブ攻撃、イタリアDFにあたって左へとび、ワンバウンドしたボールが外へ転がり、アイルランドは左サイドのモランがとる。それをイタリアのフェリが追いこむと、モランはタウンゼントにわたす。タウンゼントが走り抜けようとしたのをデナポリが取りに行って、もつれ、結局ゴールキックとなった。

 その10分前にもかなりきわどいピンチがあって、FKを1発ではね返せなかったイタリア側には、この場面もちょっとイヤな感じだ
ったろう。

 ゴールキックはDFがつないで、DFラインから縦パスを出したが、相手GKボナーがとり、再びアイルランドの攻めとなった。左サイドからトップのシーディにボールが出て、彼がフェリを背に、ボールを味方の方へトラップしたときに、デナポリが、素早い動きで奪いにいった。そしてスライディング・キックで、前方へボールを転がし、それをジャンニーニが拾い、また前方のバッジオにつないだ。味方ボールを奪われたのだから、さあとばかりに、タウンゼントと、あと2人がバッジオを囲みにいったが、バッジオは右から中央前方へ斜行のドリブルで、囲みを抜けだし、スキラッチにパスをしたのだった。

 スキラッチのバックパスから、結局スキラッチが決めるところまでは、前記のとおりだが、わたしは、デナポリが、相手FWがうしろを向いて止めるボールを狙って取りにいったこと、姿勢をくずしながら奪ったボールをジャンニーニにつないだところが、このゲームの大きなポイントだったように思う。


 受け身からカウンターパンチ

 イタリアの得点の10分ばかり前に、アイルランドは右からのクロスをヘディング・シュートする──という彼らの最も得意な型が出た。GKゼンガのみごとなジャンプ・キャッチで防いだが、そのあともしばらくアイルランドが優勢。デアゴスティーニがファウルをしたのも、相手のパスによる突破を、どうしようもなくアフタープレーでのタックルだった。守りに自信を持つイタリアにしては珍しく、受け身の気分になりかけていたはず。一方、アイルランドは自分達のやり方で、攻めこめるところから「よし、行ける」という気になっていただろう。

 そうしたゲームの流れのなかで、ナポリで、マラドーナがMFで頼りがいのある仲間、と信頼しているデナポリが演じたタックルと、そのあとのパスはまさにゲームの転向点でもあった。それまで眠ったようだったチームが、この瞬間になにかを感じて動きだしたに違いない。

 あと一連のバッジオのみごとなドリブル、それと併走するように左へ斜行したジャンニーニ、そして左へドナドニがあがってくる、といった手順は、1982年にスペインW杯で優勝したときの、イタリア代表のカウンターのひとつのモデルそのままであり、伝統的に、手なれたスタイル。ジャンニーニがバックパスをうけてステップを中へ踏んだため、相手のドナドニへの注意が一瞬遅れたこと、ドナドニがボールを受けるときには、シュートの気がまえに入り、トラッピングを大きくして、強く大きく踏み込み、そのためシュートが強烈だったこと──などは、すべてプロフェッショナルとしての彼らのみごとな工程といえた。


 相手のボールを奪うこと

 サッカーでは得点がすべてといわれるがその重要なゴールを生むのは、シュートの成否が第一だとしても、そこへもっていくまでのアプローチを見逃すわけにはいかない。

 得点を決めるすばらしいシュート。そのシュートにいたる攻撃の発端はどこだったか、そのとき、敵味方はどのような配置になっていたか──を知るのは、わたしの大きな楽しみだし、サッカーというゲームを知ることでも大事なポイントだと考えている。

 それを、こうしてプレスセンターのテレビで確認できる。つくづくありがたい時代になった。

 イタリアのカウンター攻撃の得点の出だしの部分を確認して、わたしは、豊かな気持ちになるとともに、現代のサッカーで相手のボールを中盤で奪うことの大切さ、奪ったボールをいかに、上手に、攻めにもって行くか――の重要さを確認するのだった。

 「ありがとう」

 テレビ室を出てスナックで、カフェとクロワッサンでもと、やってきたら、超満員──

 西ドイツーチェコの準々決勝のキックオフまで、あと40分だった。

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