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決勝PKを生んだのは2つの伏線と新型ストライカー

 チャンスの連続

 リトバルスキの右CK
 ゴールから遠い落下点
 アウゲンターラーのボレー
 シュートはDFに当たる。

 DFラインを上げるチェコ
 その裏へパスが通り、
 走りこんだブッフバルト
 難しいバウンドを
 見事に上から叩く
 GKステイスカルの好守
 その左CKから、今度は
 ブッフバルトがヘディング
 今度こそ――
 ゴール右スミへ飛んだボールを
 主将ハシュクが頭で弾く

 腰を浮かせ、立ち上がり、歓声をあげる。スタジアム全体が、次から次へと繰り出す西ドイツの攻撃に沸き、それを見事に防ぐチェコの守りにどよめく。

 やっぱり──と思う。西ドイツのサッカーは面白い。彼らはファンを裏切ることはない──。

 1990年7月1日、ミラノのサンシーロ競技場、 73,347人と発表された有料入場者とともに、私は記者席で中部ヨーロッパの2強による準々決勝に酔っていた。

 午後5時キックオフ、日は高く、日ざしは強く、気温33.5度。前日のフィレンツェの34度とほぼ同じ。「ここしばらく、平年より4度ほど高い」と新聞は伝えていたが、その暑さの中でも、ベッケンバウアーの西ドイツ軍団のコンディショニングは素晴らしく、前日のアルゼンチンのノロノロとは格段の違い。目を見張る動きだった。前半10分頃まではチェコも互角の勢い。6分のFKにビレクのカーブシュートが飛ぶなど、チャンスもあったが、西ドイツの早く、途切れることのない集散が、次第にフィールドを制圧していく。

 相手の中で警戒すべき、長身のヘディングの名手スクラビーには、1回戦で、オランダのファンバステンを封じたコーラーをつけ、突破に定評あるクノフリチェクにベルトルトをあてた。この2人のストッパーにリベロのアウゲンターラーを配し、右はブッフバルト、左はブレーメの布陣。左右の2人は味方ボールの時には、前進してフィールドを外から包む形となり、その内側にリトバルスキ、マテウス、バインがミッドフィールドを支え、攻めのトップにはクリンスマンとリードレ。リードレは、前の試合で退場処分を受けたフェラー(次の1試合は自動的に出場できない)の代わりを務めた。


 クリンスマンのPKドリブル

 リトバルスキの飛び出しを妨害したモラブチクに黄色が出た後、3分後にマテウスの突進に対するファウルで警告、とイエローカードが続けて出る頃からチェコは守勢に立つ。彼ら特有の体でボールをカバーするキープも、前方からはさみ討ちにくる西ドイツ相手では奪われる回数が多い。その奪ったボールをはやくつなぐ西ドイツの攻めは、間断なくパンチを浴びせるボクサーのように、シュートを打ち始めた。

 GKの見事な反射運動や、DFの忠実なゴールカバーでピンチを防ぎ続けたチェコの守りが手痛いファウルを犯さなければならなくなったのが前半24分──。

 左サイドへ開いたクリンスマンが、ボールを受けて、特有の大きく早い切り返しと、ターンで2人の相手をはずし、ペナルティーエリアに入ってから、2人のDFの間を突破しようとして、2人に妨害されてバランスを崩し、オーストリア人の主審コール氏が、ファウルと断定してPKを与えたのだった。

 記者席のテレビ画面のスロービデオは、クリンスマンがペナルティーエリア内でストラカとコパネツの間をすり抜けようとし、コパネツが左肩と腰で、ストラカが左足を上げて、彼の前進を妨害するところが映っていた。

 PKのキッカーはマテウス、たっぷり助走をとって、助走の勢いをそのままボールに乗せる。抑えのきいたインステップで、ゴールの右サイドネットに蹴り込んだ。GKステイスカルは左へ飛んだが、もしヤマがあたっていたとしても、取れなかっただろう。


 ドイツの新型ストライカー

 対オランダ戦で、ヨーロッパ・チャンピオンの守りをズタズタにしたクリンスマンのドリブルと、彼のビューティフルゴールは、ストライカーの才能を世界にアピールしたが、早さと大きさと柔らかさを備えた彼は、相手より1歩でも半歩でも早くボールを受ければ、ためらうことなく反転して前方へすり抜ける。背後の相手が安定していても、大きなスライドと強いヒザを生かしたスワープで、幻惑し、持ちこたえ、逃げ去ることもできる。利き足の右はもちろん、左でもシュートができ、長身を生かしたヘディングにも威力は十分。G・ミュラーやルムメニゲあるいはルベッシュなどの、これまでの西ドイツのスター・ストライカーとも違う、ニューモデル。彼とフェラーのツートップは、パスを受けて持ちこたえることも、そのボールとともにすり抜けることもできるから、ツートップ、つまり前線に少ない人数しかいないという、このシステムを効果的に作動できる。西ドイツ代表が、’86年のメキシコ大会よりも、挌上のチームとなったひとつのポイントといえるのだった。


 ゴールに至るまでの伏線

 ただし、このクリンスマンの突破にも、もちろん伏線はある。この少し前、コーラーがドリブルしてロングシュートをする場面があった。相手の守りがないと見てのロングシュートだったが、このシュートをつかんだチェコのGKステイスカルのロングパントが次のプレー。そのパントキックの落下をブッフバルトがジャンプヘッドして前方へ送るのが3番目のプレー、今度はそれをビレクがヘディングで応じたが、この時、自分の位置から見て、競り合っても勝ち目がないのにマテウスが(ボールに向かって)ジャンプを競りに行った。ビレクのヘディングが味方に渡らずに、前進していた左のブレーメの足元に落ちたのが、次の展開へのアヤとなる。

 前方にスペースがあれば、ドリブルし、短いパスをかわし、左からクロスを上げることも、持ち込んで、右でも、左でもシュートすることもブレーメは可能な選手だが、彼は、一呼吸の後、右足で、左前方、タッチライン近くへボールを流し、オープンに開くように走って来たクリンスマンに渡したのだった。長身の多いチェコに対して空中戦よりも、ボールを転がす地上戦の方が西ドイツに有利と見たのか、好調のリトバルスキのドリブルが有効なことから、察したのか、判断の基礎がどこにあったかはともかく、クリンスマンの動きを見て、内側にいてブレーメが外側へボールをパスしたのが、相手の守りを分散させ、クリンスマンのドリブルの侵入を威力あるものにした原因ともなっている。

 タッチ際で、カドレツとハシェクの間を抜けてゴールへ向かったクリンスマンは、例の大きなストライドで(あとでスロービデオを見ると)7歩目で右足のシュートのジェスチュアをして、ストラカとコパネツとの接触プレーに入っている。ペナルティーエリア内5〜6メートルで待ち受けるスライカと、前から守りに加わるコパネツの2人に対し、クリンスマンは右足アウトタッチでボールを押し出し、コパネツの両足の間から抜けたボールを追って、2人の間を通ろうとした。彼の早さに、2人はボールに対してプレーできず、彼の体に当たりにいく形になった。


 くつをけり上げて“退場”

 1点のリードで西ドイツは攻撃の手を緩めることはない。チェコもまた右サイドのモラブチク、ハシェクの攻め、左のクビクとビレクがチャンスを作り、スクラビーの高さを生かそうとする。前半の終了間際の西ドイツの左CKでバインのヘディングからゴール前へ落ちたボールを、クリンスマンが右足を伸ばしてよいシュートをした。右ポストぎりぎりに飛んだボールを、またまたハシェクが防いで、スタンドの西ドイツサポーターは呆然とする。

 後半に入って日陰が増え、ちょっと涼しい感じがするとチェコが元気を取り戻す。そのチェコの攻めを防ぐと西ドイツの早いカウンターが出る。16分には、ブレーメからバインで組み立て、リトバルスキのパスからリードレがノーマークとなったチャンスを、チェコのGKステイスカルが飛び込んで防ぐといったスリリングも生れる。

 そんな好ゲームの雰囲気に、ちょっとした事件が水をさす。チェコが攻め込み、モラブチクが縦パスを追い、リトバルスキと併走した時、体を入れようとして倒れて、結局ゴールキックとなった。怒ったモラブチクが足を思い切り振ると、なんとクツが脱げて高く舞い上がり、芝生に落ちた。主審のコール氏はこれを、レフェリーに対する不満の表明と判断したらしく“警告”。1試合2度目のためにモラブチクは退場となった。リトバルスキと競り合ってのランニング中にモラブチクは体を相手に預けるようにしたがその時(よく見えていないが)リトバルスキが、どこか引っぱったのかも知れないし、またモラブチク自身は、引っ張られたと感じたのかも知れない。モラブチクの“キック”はちょっとしたきっかけで、西ドイツの運動量と、強いディフェンスに自分たちの特性を出せないままにいるフラストレーションが爆発したといえる。

 後半25分のこの退場で(フラストレーションが抜けたのか)10人のチェコが勢いを盛り返し、30分をこえると西ドイツの動きがガターッと落ちるのだから、サッカーは面白い。

 とは言っても、チェコは同点ゴールを奪い返すまでにはいかず、チェコの左CKが防がれたところで終了のホイッスルが吹かれた。

 6月8日の開幕試合から3週間余、ミラノでの試合スケジュールは終わり、汗臭い(であろう)ユニホームを交換し合う両イレブンがグラウンドから立ち去ると、この会場のお別れセレモニーがあって、プレスセンターのお嬢さんたちも、フィールドからスタンドにハンカチを振ってあいさつした。

 「ああミラノは、今日で終わりだったか」──ちょっと寂しい気になりながら、“ナポリのカメルーンーイングランド戦をテレビで見るためいい席を確保しよう”──と私は立ち上がった。

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