賀川サッカーライブラリー Home > Stories > >アフリカのレベルを証明した38歳の”大ストライカー”

アフリカのレベルを証明した38歳の”大ストライカー”

 ワーキングルームのテレビ観戦

 
 ワーッという声が思わず出ていた。

 緑のユニホームに赤のショーツが白ユニホームのイングランドを圧迫していた。ひたひたと押し寄せ、はじき返されては、また押し寄せるカメルーンが、ついにノーマークでのシュートのチャンスをつかんだのを、イングランドのGKシルトンが飛び出して、強いシュートを体にあてて防いだのだった。

 1990年7月1日の日曜日、ワールドカップ・イタリア大会は準々決勝の第2日にはいり、前日の6月30日にアルゼンチンがユーゴスラビアをPK戦で破り、イタリアがアイルランドを1-0で下して準決勝へ進み、この日午後5時から、ここミラノで西ドイツがチェコスロバキアに勝ち、ベスト4のうちすでに3チームが決定していた。

 前日のフィレンツェで、アルゼンチンの苦しい勝利を取材した私は、この日午後、鉄道で戻り、スタジアムでの試合を見たあとプレスセンターのワーキングルームで、サッカーの母国イングランドにアフリカのカメルーンがチャレンジするのを見ていた。


 イングリッシュ・ゴール

 チャンスのあとにピンチあり──は野球でもサッカーでも同じこと。この決定的なピンチから4分後にイングランドは見事な攻めで先制する。カメルーンの攻め込みのボールを奪って、イングランドが左へまわし、ハーフライン近くでブッチャーがボールをキープしたときはカメルーン側は珍しく奪いにやってこない。左タッチライン際の彼は、いったん、右へボールを出す姿勢をして、前方を走るピアースにスルーパスを送った。スタートでマークを振り切ったピアースは縦に突進しておいて、左足でライナーのクロス。カーブのかかったボールに名GKヌコノが飛び出せない──と見えたとき、ファーポストのプラットが文句なしのジャンプヘッドで叩き込んだ。

 ピアースのクロスも完璧なら、プラットのヘディングもパーフェクト。深くえぐってのクロスをファーポストで合わせるイングリッシュ・ゴールの典型。ベルギー戦で浮き球をボレーで決めたプラットの高いボールに対する強さは、この先制のヘディングの際の自信に満ちたジャンプにも表れていた。

 0-1となって、カメルーンの攻めは激しくなる。がっしりしたリビーが、2度チャンスをつかみそこねる。ムフェデが左から、マカナキーが右からと、巧みなキープとパスでイングランドの固い守りにも、大きな穴を作ってしまう。


 大ストライカーのミラ

 後半開始のときにカメルーンはマボアングに変えてミラを、イングランドは、バーンズに変えてベアーズリーを投入した。

 38歳のミラが後半にあらわれるのは、この大会でのカメルーンの定石(じょうせき)で、ミラは対ルーマニア(2点)、対コロンビア(2点)と4ゴールを奪っている。

 カメルーンの事情に詳しいフランスのカメラマンに聞いたところでは、彼は18歳でプロフェッショナルとなり「レパード・ドゥアラ」で働き、20歳のときにチームは国内優勝。アフリカのチャンピオンズ・カップの準決勝までいく。ドゥアラというのは、この国第一の港湾都市。ついでながらカメルーンという名は、ポルトガル人がこの地を探検したとき、入り江にエビが多かったのに驚いて、「リオ・ダス・カマローネス(エビ)」と名付けたのが、土地の名となり、フランス人やドイツ人、あるいは英国人などが転訛してカメルーンになったといわれている。そのギニア湾に注ぐウーリ川の河口の町のチームから、ミラは、首都ヤウンデの「トネーレ・ヤウンデ」に移る。1975年、GKのヌコノとともにアフリカのカップ・ウィナーズ・カップに優勝する。


 フランスでの経験

 カメルーンは中部アフリカで経済的にも豊かな国、人口は一千万人を少し超え、国民総生産が112億、1人当たり、1010ドル(1988年)だから、リビアやアルジェリアなどの地中海側の国に比べると低い。もちろん日本に比べるとケタ違いだが、食糧自給が可能で石油も産出する。

 サッカーの1部リーグは16チームで、ヤウンデには7万人、ドゥアラには5万人のスタジアムがある。

 経済大国日本と比べてもサッカーの環境は悪くはないが、なにしろ近くにヨーロッパという大市場がある。

 ミラはフランスに移り、バレンシアンヌから、モナコ、バスティアなどとチームを変わって、バスティアでは1981年フランス・カップに優勝。カメルーン代表チームでは1984年にアフリカ選手権のタイトルを取った。

 1988年36歳で引退した彼が、この大会に最後のチャンスと自ら志願して代表に加わり、後半からの彼の起用が見事に成功してきたのだった。

 私の見るところでは、後方からのボールの受け方がうまく、ちょっと半身になって、前へ出るのか、止まるのか、相手を惑わすこと。クイックモーションでパスを出せること。仲間を使っておいて、スペースへ走り込むタイミングのうまさと早さ、そしてシュート力。経験の積んだ今も素晴らしいが、瞬発力の最高であった時期のミラを見たかった──と思うほど得点を奪い、ゴールにからむことのできるプレーヤーといえた。


 “闇”をつくっておいて突進、そしてパス

 そのミラの登場でテレビ画面の後半は、いちだんと活気を帯びた。

 15分にイングランドが左サイドのピアースからのパスを、今度はプラットがニアポストでとって出た。GKヌコノに引っかかって倒れたのをレフェリーは流したが、そのあとミラの突進からPKが生まれる。

 ミッドフィールドでムフェデから受けたミラがドリブルし、後方のクンデにパスを渡して、そのリターンでラインを割ろうとしたとき、ガスコインのトリッピングがあった。クンデが決めて1-1(後半16分)。

 追いついて気分の昂揚した緑のユニホームが勢いづく。ムフェデに代わったエケケが元気に動いていると思ったら、そのエケケがドリブルしてパス。受けたミラがひとつ持ち、走るエケケの前に流し込む。開いていたもう1人の脅威オマン・ビイクのマークのために、ゴール正面に穴があいていて、エケケはクリーンシュートを左下へ決めた。

 前半にはオマン・ビイクの頭を狙っての空中戦を「望むところ」とはね返していたイングランドのDFも、多彩なカメルーンの攻めに、後手にまわりはじめ随所に穴ができる。気落ちもあって、中盤での追い込みが少なくなると、そのぶんカメルーンは余裕を持ってキープする。それが攻めの変化を生む。


 イングランド回生のPK

 ブッチャーに変えてスティーブンを登場させたロブソン監督はこの中盤の劣勢をなんとかしょうとの狙いだったろう。

 イングランドのCKをライトがヘディング(オーバー)、ガスコインがドリブルで持ちあがり、そのパスを受けたプラットのシュートが右へはずれたが、少し流れが変わりかける。

 そういう空気が影響したのか、マカナキーのピアースに対するファウルがあってFKが生まれた。

 25ヤードあたりからのガスコインのチョップは1度カメルーンのDFがヘッドしたが、それをパーカーがとって前へ送る。ワドルが浮いた球を短く左へ叩き、リネカーがとって出ようとしたところをトリッピングがあった。

 タイムアップまで、あと8分。リネカーは右足で右へけりこんで2-2とした。

 今度はイングランドが勢いづく──はずが、ミラとヘディングを競ったライトが左眼上を切って血を流す。ケガの手当てをしている間10人の相手をカメルーンは攻めつける。

 すでに2人を交代させているイングランドは、ホウタイ姿のライトを外に置き、パーカーを中央に、スティーブンも後方に下げての布陣で延長に入った。

 窮すれば通じる──上背の低いパーカーだが、黒人特有のバネがあり、そして英国流の頑健さも備えていて、カメルーンの再三の攻めを見事に防ぐ。そして危険地域へズカズカと入ってくるエケケにスティーブンが粘る。

 押されながら、延長前半15分を、ともかく持ちこたえられるかナという感じのイングランドが、またまたPKのチャンスをつかむのだからサッカーは面白い。

 ガスコインがドリブルしてタテパスを出すのに合わせて、リネカーが好スタート。ペナルティー・エリアに入ったところへ、飛び出したGKヌコノがかわされ、手でリネカーの足を払った。

 疲労の極みにあった両軍のなかで、ガスコインがドリブルしたとき、カメルーンは誰も追わず、彼は余裕をもって、サイドキックで前方へタイミングのいいスルーパスを送ったのだった。こういうパスの受け方はリネカーの専門だから、ヌコノのファウルも致しかたないが、ひとつの局面を開拓するには、無理な労力を使わなければならない──という鉄則どおりのガスコインのプレーだった。


 ああ、アフリカ

 レフェリーに自分のファウルについて不満を表したヌコノは、イエローカードを出される。

 もし彼が、裁定を受けいれ冷静にリネカーのシュートに備えたら──と考えるのは岡目八目というべきか──。

 前のPKが自分の左側(リネカーから見て右側)へ来たという意識でヌコノが左へヤマを掛ける。

 リネカーは、おそらく左(ヌコノから見れば右)を狙おうとしたのだろうが、強振したインステップのシュートは、ヌコノが飛んでしまったあと、ど真中に突き刺さった。

 リードを追って、追いつき、追い越したカメルーン。そして同点にされ、延長にまた逆転されたあと、気力を奮いたたせて攻めるが、もうこれまでのような粘りのある動きやキープはできない。延長後半の15分はイキイキとしたイングランドが目立った。試合が終わり、交換した白いイングランドユニホームを着たカメルーンが一団となってスタンドに手を振り、ナポリの観衆に別れのあいさつをしたとき、テレビ観戦の記者たちの間からも拍手が起きた。「ペレやエウゼビオやティガナ、私たちはアフリカ系の素晴らしいスポーツ能力を知っておりながら、彼らだけのチームは組織力に乏しい──などの偏見を持っていたかも知れない。しかし、それは経験を積めば、努力をすれば充分に可能なことをミラやマカナキーやタタウのチームは証明した。サッカーの世界はまだまだ広く、深くなる。日本のサッカーもボール扱いが下手という先入観が改まり、ひ弱いものだという決めつけも、いつの日にか変えることができるのではないか──」テレビ観戦のノートの端。7月1日の私のメモにはこう書き残された。

↑ このページの先頭に戻る