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”何も失わない”PK戦を制したGKの開き直り

 イタリア・ノー

 「Italia no !(イタリア・ノー)」隣の客の持つ新聞の見出しが、この国の人たちのすべての気持を表している。

 1990年7月4日朝、ナポリの空港を飛び立ったBM4161便は、ミラノへ向かっていた。

 前夜、7月3日ナポリの「スタジオ・サンパオロ」でアルゼンチンがイタリアと1-1で引き分け、PK戦を4-3で勝って、7月8日の決勝へ進出した。(先月号参照)

 ミラノを取材基地にしている私は、3日午前の飛行機(BM152便)でナポリに出て、この試合を取材し、次の日ミラノに戻り、さらに午後トリノに向かい、もう1つの準決勝、西ドイツーイングランドを見る予定だった。

 前夜の敗戦はイタリア全土に大きなショックだった。スタジアムは悲しみに静まり、ローマは沈黙。トリノではイングランドのサポーターのキャンプサイトをイタリアの若者が襲撃したと新聞は伝えた。

 RAI(イタリア国営テレビ)の視聴率は史上最高の87.95パーセント、視聴者数は2753万人に達した。もっともスキラッチの故郷シシリー島のメッジーナでは故障のため市民はテレビ観戦できずラジオを聞くだけだったともいうが・・・。

 そんなイタリア人たちには、PK戦はまさに胸が締めつけられる思いだったろう。両チーム3人ずつ成功し、4人目のイタリアのドナドニのシュートが防がれ、アルゼンチンのマラドーナが決めて4-3。そして5人目のセレナの左足シュートがGKゴイコチェアの腕ではじき返されたのだった。

 足にケイレンを起こしたスキラッチを起用できなかったのもイタリアには不運だった。

 それにしても十分な準備をし、素晴らしいタレントをそろえたイタリア代表が、最後の舞台に登場しないとは──、1974年の西ドイツ大会や1978年のアルゼンチン大会で実際に開催国の代表チームが決勝に残り、強敵と世界一のタイトルを争うという、あの国中に張りつめた緊張感が、このあとなくなってしまうのか、と思うと、(マラドーナやビラルド監督には悪いが)なんだか寂しい気がする。

 イタリアの試合ぶりについてはベルゴミ主将は、インタビューで、自分たちのやり方に間違いはなかったといっている。私は、それにはちょっと批判的で、知らず知らずに彼らは、中盤でのつぶしより、少しDFラインを後退させて、楽に守ろうとした。それがアルゼンチンの中盤での優位につながったと思っている。

 といって、延長を含めて120分の試合でイタリアが負けたわけではない。やや優勢なうちに引き分けただけ。とすると、やはりPK戦に勝てなかったことが、国中を失望させたことになるのか──。


 ワールドカップのPK戦

 隣の新聞を眺め、写真を見ながら私はあらためて、PK戦について思う。

 ワールドカップで、次のラウンドへ進むため、同点、引き分けの試合を「ペナルティースポットからのキック」で決めるようになったのが1982年のスペイン大会から。

 以来、大会のたびにPK戦という、サッカーという競技とはいささか異質のドラマを、いくつか見てきた。

 82年スペイン大会は本大会参加国が、初めて24カ国となり、イタリアがアルゼンチン、ブラジル、ポーランド、西ドイツを倒して予想外の優勝をとげたが、準決勝の西ドイツーフランス戦は初導入のPK戦で、延長引き分けの試合そのものも3-3のシーソーゲームで、まことにドラマチックだったから、記憶に新しい。

 あのとき、たしかフランスが3人目まで、成功した。トップはジレスで、2人目がアモロ、3人目がロシュトーだった。西ドイツはカルツ、ブライトナーが決めて、3人目のシュティーリケがGKエトリに防がれた。大ベテランのシュティーリケがあまりのショックに泣き崩れるのをGKのシュマッハーが抱き起こし、慰め、励ますシーンが、テレビにクローズアップされたのだが、そのシュマッハーは、フランスの4人目シスのシュートを止め、西ドイツの4人目リトバルスキが成功して3-3とする。

 両チームの5人目はさすがにプラティニとルムメニゲで2人ともきっちりとサイドネットへ蹴りこんで4-4となり、サドンデスに入って6人目となったが、フランスのボッシをシュマッハーが防ぎ、西ドイツはストライカーのルベッシュがインサイドキックでエトリの読みとは逆の右下隅へ蹴り込んだ。

 セビリアで行われたこの準決勝を私はバルセロナのプレスセンターのサービス・ルームのテレビ観戦、フランスと西ドイツの記者団の興奮がまことに面白かった。

 このときのW杯のPK戦の印象は、まことにドラマチックなのと、試合中のPKと違って、仲間が成功し、失敗するのを見つめながら待たなければいけないキッカーには、心理的な負担があるのだろうと思ったものだ。


 プレースキックの1対1

 試合の流れの中のPKは、たいてい、そのチームで一番シュートのうまい、あるいはプレースキックのうまいものが蹴る。私は少年の頃、短いプレースキックは正確に蹴ったし、ゴールキーパーの練習にもよくつき合っていたので、そのモーションや心理を読むことも好きだったから、PKのキッカーはいつもお鉢がまわってきた。仲間に自分よりはるかに技術が上で、力もある岩谷俊夫や兄・太郎(いずれも後に日本代表に選ばれた)がいたから、PKというのはサッカーの技術や能力の中では、「ただ一人で、ただ一人の敵を相手に、プレースキックをする」特殊なプレーと考えていた。

 PKそのものはプレースキックを誰にも邪魔されずに、幅7メートル32センチ、高さ2メートル44センチの枠の中へ蹴り込めばいいのだから至極簡単。ゴールキーパーは、ゴールの中央に立ち(ポストまで3メートル66センチ)、助走なしで、セービングジャンプをすると、3メートル10センチくらいまで横へ防げる勘定になる(今はGKの瞬発力が強くなり、体格もいいから、私の昔の計算よりは、もっと届くかも知れない)。

 とすると、ゴールポストとの間隔は(GKが真横に飛んだとして)50センチあって、直径が22〜22.6センチ位のボールは十分に通り抜けられる余裕はある(ゴールを平面的に見たときでも)。だから、ポストの内側20センチ位を狙えばいい──と考えていた。

 11メートルの地点から、ポスト内側20センチへある程度のスピードボールを蹴るのは、回数をかけ、練習を積めばそれほど難しいことではない。目標に対する立ち足を、踏み込んで行く角度に安定し、蹴り足のスイングと、当てる部分とが決まればいいのだが、助走のスタートのときに、どこへ蹴るか迷ったりすると、狂いが出る。

 相手ゴールキーパーの読みを読む(姿勢などで)人もあるし、また自分からゴールキーパーに逆方向を思わせるやり方も(踏み足や視線などで)あるが、一番の基本は、手の届かないポストギリギリ(サイドネット)へ相当な強さのボールを入れることだろう。


 プレッシャー、迷い

 ところが、この単純なことが、プレッシャーのためにできなくなる。シュティーリケのような名選手が、サイドキックで、どちらかのポストの内側、ぎりぎりに蹴り込むのは、普通ならミスすることはないはずなのに、ゴールキーパーのすぐ手の届く範囲へキックしている。右足でGKの左を狙った彼のキックはおそらく、思っている地点へ蹴るためには、踏み込みに入っていく助走の角度が悪かったに違いない。角度が悪いまま蹴るのは、どちらかの方向を決めるのに迷いがある場合もあり、疲れているために、自分のPKを前もって頭の中でチェックできていないことがあるかも知れない。

 西ドイツとフランスの名選手6人が演じたW杯で初めてのPK戦(英語ではシュート・アウトと言う人もある)は、その1本1本のシュートを通じて彼らの“心”をあらためて見る思いがした。


 プラティニもソクラテスもミス

 ’86年のW杯では準々決勝の4試合の内3試合が延長・引き分けPK戦で決まった。

 ブラジルとフランスが最高の試合を展開したグアダラハラでは、’82年のPK戦で、ピシャリとサイドネットへ決めたプラティニが、バーを越してしまったし、ブラジルの1番手のソクラテスがGKバツに防がれた。ソクラテスは、いつも右足のサイドキックで、助走なしの独特のスタイルで、チームのPK役として信頼されていたのだが、このときは疲れ切っていたから、ボールはキーパーのリーチの範囲へ飛んだ。プラティニは足の先の方に当たったらしいが、これも消耗して集中力が欠けていたとしか思えない。

 同じメキシコ大会準々決勝の西ドイツーメキシコのPK戦(ドイツ4-1)はシュマッハーがメキシコの2人目と3人目を防いだが、2人目のキラルテに対して読み違えたが、キラルテが真っすぐ蹴ったために足が当たり、3人目のセルビンには読みが当たった。

 西ドイツは1番目のアロフスが左隅、2人目のブレーメが真っすぐ(GKラリオスは横へ飛んだ)、3人目のマテウスは左下隅。ラリオスは読めたが届かず、4人目リトバルスキは左隅でこれもGKのジャンプの方向は正しかったが、ボールに届いていない。このあたりにドイツの選手たちのポストぎりぎりの、あるいは隅を狙うという気性の強さが表れている気がする。


 ゴイコチェアの開き直り

 イタリアW杯では第2ラウンド1回戦でアイルランドが0-0のあとPK戦でルーマニアに勝ち、準々決勝ではアルゼンチンが、これも0-0の引き分けの後ユーゴにPK戦勝ちした。すでにこの連載でふれたように、ユーゴ戦ではアルゼンチン3人目のマラドーナの左足のサイドキックが弱くて、方向も悪く防がれている。疲れていたためとしかいいようがないが、その大天才のミスを補ったGKゴイコチェアは、2試合連続してPK戦を勝った。彼のほかには82年準決勝と84年準々決勝のシュマッハー(西ドイツ)がいるだけだ。

 そのゴイコチェアのPK戦についてのコメントが新聞にのっている。

 「PK戦というのはプレッシャーはキッカーの側にある。もし私の読みが当たってジャンプして防げば、GKはよくやったと人はいい、もしこちらの判断が間違って点を取られても、GKが悪いとはいわずに、シュートがよかったというはずだ。だからゴールキーパーは何も失うものがない」

 彼の開き直りが、今のところ好結果を生んでいるが、PK戦という新しい形式は11人の中で特別なポジションのゴールキーパーをヒーローにする舞台ともなっている。

 ***

 気が付くと、飛行機は下降を始めた。

 さあミラノだ。今夜のトリノはどのような試合になるのだろうか。

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