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1967年のネルソン吉村

 日本のサッカーにブラジルからプレーヤーがやってきたのは、1967年のネルソン吉村大志郎が最初だった。
 東京オリンピックの翌年の1965年に、日本サッカー協会はプロ野球以外で初めてのスポーツの全国リーグ、「日本サッカーリーグ」を発足させた。東京五輪での、対アルゼンチン戦の勝利で、それまで出ると負けだったサッカーをマスメディアが見直し、この“初物”を大きく取り上げたから、日本リーグへの関心は高まった。
 8チームでスターとしたそのリーグで、関西から唯一参加したヤンマーディーゼルは、チームとしての歴史が浅く、まだ力も弱く下位を低迷していたが、1967年4月に早大から釜本邦茂の入社をみるとともに、一挙に11人の新人を獲得して実力アップを図った。そして同年6月、ブラジルのサンパウロからネルソン吉村を呼び寄せたのだ。 ネルソン吉村は日系3世で、日系人のサッカークラブ「松原クラブ」でプレーしていた。ヤンマーは急速なレベルアップに、ブラジル育ちの吉村のテクニックを活かそうとし、当時はアマチュア・リーグであった関係から、ブラジルにあるヤンマーから本社への転勤という形をとった。
 1947年8月17日生まれの吉村は、来日した時はまだ20歳未満。少年時代に1958年のW杯優勝を、ラジオで聞いて興奮した、“栄光の時代”に育った世代。遊びのなかで身につけたボールタッチは柔らかく、特にボールを浮かせてドリブルする巧みさは、それまでの日本のプレーヤーにはなかったもので、彼が来日した直後のヤンマーは、ちょっとしたカルチャーショックだった。
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