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”神の配慮”虚し”賭け”に負けたイングランド
140キロのタクシー帰り
ボーっとした頭に紅茶の香りが何よりだった。レモンをしぼって、砂糖なしのひと口で、少しずつ意識がはっきりしてくる。
そう、昨夜──というより今日だが──深夜にトリノからタクシーで帰って来たのだ。午後8時キックオフの試合が、90分で1-1,30分の延長でも追加点がなく、PK戦でやっと決着が着いた。トリノからミラノへ帰る列車はなく、140キロをタクシーで走ってもらった。ミラノの中央駅を目印に、ヴィアーレ(大通り)ザーラ・ウーノ(1番)のこのアパート「レジデンセ・ザーラ」の前に着いたときには、さすがにホッとした。料金は32万リラだった(約4万円)。
そんな足どりをたどれば、思いは前夜の準決勝、西ドイツーイングランド(1990年7月4日、トリノ市デレ・アルビ・スタジアム)へ戻っていく。
イングランドの気力充実
試合前の両国国歌吹奏で、先に演奏された西ドイツ国歌のとき、電光掲示板に「フェアプレー・プリーズ(Fair Play,Please)が浮んだ。英国人サポーターの中から起こった口笛の“非礼”をたしなめたのか。つづく「ゴッド・セーブ・ザ・クィーン」の歌声は、場内を圧する勢い。たとえ、だれかが口笛を吹いても、かき消す勢い。
久しぶりにW杯のベスト4に入ってきた喜びと、強敵西ドイツへの意識が歌声に表れていた。
そんなサポーターの気持ちそのままが、キックオフ直後からイングランドの果敢な攻めに表れた。
右サイドへの深いパスから、いきなり右CK。そのリバウンドをガスコインが左足ボレーでシュートした。右利きの彼の左ボレーだからスピードはなかったが、隅へ飛んでドイツ側をヒヤリとさせる。
西ドイツほどの実力チームも、こうした大試合で、勢いづいたイングランドを制圧するのは難しい。前半なかばまで、イングランドの動きの良さが目立って、西ドイツは攻めこまれてはタジタジとなり、ボールを持っては攻めあぐんだ。
豊かな個性が組み合わさって
黒人のウォーカーがクリンスマンに、ライトがフェラーをピッタリマークして、ブッチャーがそのカバー。左に長身のピアース、右に黒人の中背でタフなパーカーを置く、相手ボールのときには5人DF。ただし、ピアースは飛び出して左サイドを一気に前線へ。パーカーは西ドイツの左サイドのブレーメを監視しながら、機を見てその裏をつく。ガスコイン、プラット、ワドルにペアーズリーも加わって中盤では相手のMFたちと随所で競り合い“ボールをめぐる戦い”で優位に立つ。リネカーは西ドイツDFを引きつけ、左、右にオープンスペースを作って、第2列、第3列の飛び出しを図(はか)り、イングランドの得意な、外側からの攻めこみと、クロスパスで西ドイツを脅かす。
私の好きなのは左利きワドルの独特のドリブルと意表をつくパス、右サイドでプレーするというレフティーの常識破り。大柄で、ぎこちなく見えるが、細かいターンは、体を巧みに生かして、相手を悩ませる。同じ左利きのピアースも長い疾走から強いキックで音の出るようなクロスを蹴る。長いリーチと走っている勢いを殺さずにパスを出す。
ロブソンがケガで戦列を離れてから、MFの中軸となったガスコインは、筋肉ぶとりの厚味のある体を武器に「頑健」の印象とは違った、柔らかいボールタッチをし、器用なパスと強いシュートを兼備する。彼のチョップキックを決めたプラットのシュートが、ベルギー戦の劇的ゴールだったが、そのプラットはこの日も、中盤を駆けめぐる。すごい運動量に空中のボールの巧さが武器だ。
イングランドと言えば、速攻、外からのゴール前へのクロスとヘディング──といったシンプルなイメージが強いが、今大会のイングランドは第二次ラウンドに入って、こういった個人の持ち味が見事に生かされ調和しているところに、強さがあり、そして、レベルの高さがある。
イングリッシュ・スタイル
そうした技術を持ちながら、互角の強敵に対しては、まず自分たちの全体の特色でもある体格的な強さを生かそうとする。
彼らの闘志と体の強さは随所に表れ、競り合い、ぶつかり合うときに、西ドイツ側が痛めつけられる。走ってきた勢いそのままのタックルは、ファウルの意志はなくても、ぎりぎりでボールを取って逃げようとする相手には文字どおり“骨身にこたえる”激しさとなる。
西ドイツの誇る2トップ、フェラーとクリンスマンが、前半なかばまで、完璧といってよいほど抑えられたのは、2人のDFの巧さもあるが、この当たりの強さが大きかった。とくにフェラーは最初の接触で足を痛めて動きが鈍り、38分にリードレと交代してしまう。
西ドイツが盛り返したのは、このリードレの投入から。決定的には崩せないまでも、シュートの数が増え、イングランドの大ベテランGKシルトンが忙しくなる。
西ドイツの得点、ブレーメの強気
この日の西ドイツは、リトバルスキを休ませてMFはヘスラーとマテウス、トーン、ブレーメ、DFはコーラー、ベルトルト、アウゲンターラー、ブッフバルト。
盛り返した西ドイツの動きは、後半に入ってさらにイキイキする。
マテウスが前線に加わる機会が少ないのと、2トップが独自で相手DFを崩せないために、ペナルティー・エリア内への侵入は果たせないが、シュートレンジからの強いシュートが飛ぶようになる。
そんな西ドイツの攻撃が得点を生んだのが後半14分。ヘスラーがドリブルで入りこもうとするのをピアースがファウルで倒し、エリア外のFKとなった。正面やや右より、25メートルあたりから、トーンが左へ転がし、ブレーメがシュート、これが相手のDFパーカーの足に当たってGKシルトンの意表を突き、ゴールへ飛び込んだ。
不運・パーカーの足に・・・
シュート・シーンを、もう一度振り返ると、トーンから短いパスが出たとき、ブレーメのマーク役パーカーが、待ってましたと、ブレーメへ突進する。(ただし、距離があるため、足もとへタックルにいくわけにはいかない)コースへ入ってくるパーカーにかまわず、ブレーメは、得意の左足を強振した。果敢に妨害にいったパーカーも、強いシュートに本能的に顔をそむけ、体は後ろを向く。その右足に当たったボールが、高く上がり、放物線を描いて、ゴールのバーすれすれに落下。シュートを防ぐために、前へ出ていたシルトンが、賢明に後退したが、ボールには届かなかった。
せっかくシュートコースに入りながら、防げなかったパーカーには不運だが、相手の飛び出してくるのを構わず、シュートしたブレーメの強気とボールの速さが生んだ1点と言える。
“神の配慮”西ドイツDFにミス
もうひとつゴールを加えて振り切ろうとする西ドイツと、同点にしたいイングランドの、それからの攻防はまさに、世界の“巨人”の対決といえた。
そして、秘術を尽くしお互いの攻めを、それぞれのGKがファインプレーで、あるいはディフェンスの見事なタックルやカバーで防ぐのだが、その難攻不落の砦(とりで)が、ちょっとしたミスで陥落するのだから──。
後半34分、イングランドのパーカーのけった、長い高いロビング・ボールの処理を、西ドイツのDFがミスし、リネカーが拾ってシュートをゴール右スミにけり込んでしまう。
処理を誤ったのが、守りの要(かなめ)、ベテランのアウゲンターラーだった。
同点シーンの発端は、その1分前のイングランドの右CKを防ぐところから始まる。CKをイングランドのライトがヘディングし、これをGKイルグナーがキャッチしてアウゲンターラーに渡す。ここから西ドイツが攻めに出て、右サイドで西ドイツボールのスローインとなったのに、ファウル(スロー)でイングランドボールと変わる。相手ボールとなって、西ドイツはハーフラインより内へ、さーっと引きあげる。イングランドは左から右へとDFでパスをつなぎ、右タッチ際、ハーフラインでパーカーがキープ。右前に展開する仲間には目もくれず、いったん左へ動かしたボールを右に持ち換え、ゴール正面へ大きく高いロブを送った。
ペナルティーキック・マークあたりへ落下するボールを、アウゲンターラーが、左足でタッチしたが、コントロールできず、バウンドして高く上がって、後退してきたコーラーやブッフバルトもタッチできずに、右寄りへ落ちる。そこには、なんとリネカーがいて、ピシャリとゴール右隅へ決めてしまった。
それほど難しいボールでもないのに、西ドイツDFに生まれた“不思議なミス”と、その後に続く混乱。そこに、また、この日コーラーに押えられて、仕事をしていないリネカーがいたとは──。
私には、イングランドの素晴らしい頑張りと、パーカーの不運(ブレーメのシュートを足に当てて、一種のオウンゴールにした)をあわれんだ、神さまの配慮としか思えなかった。
PK戦はルーレット?
延長戦に入ると前半は西ドイツが攻め続ける。イングランドの動きの勢いが少し衰えると、西ドイツのテクニックが冴えてくる。そして、クリンスマンにもようやく突破のチャンスが生まれようとする。元気づく西ドイツ・ファンの自信をぐらつかせたのがワドルの強いシュート。右ポストに当たってはねかえった、その強さにしばらく場内はどよめく。そして延長後半、攻め続ける西ドイツのブッフバルトの強蹴が、右ポストを叩いて、ここでも“神の配慮”は公平。
西ドイツとイングランド、いずれが勝っても“勝者にふさわしい”といえる対戦は、2時間のゲームのあとでPK戦に入った。
イングランドの先蹴で、まずリネカー、西ドイツはブレーメ、次いでペアーズリーとマテウスが決めて、2-2、3人目はプラットとリードレで、これも成功したが、イングランドは、ピアースが防がれ、西ドイツはトーンが右隅に決めて4-3とリード。
イングランドの5人目のワドルがゴールをオーバーして、西ドイツが決勝へ進むことになった。
記者会見で、イングランドのロブソン監督は“PK戦をロシアン・ルーレット”と“賭け”にたとえた。信頼しているピアースやワドルの失敗を“賭け”としかいいようがなかったのだろう。
ただし、私は、W杯でのPK戦をいくつか眺めてきた経験から、西ドイツやアルゼンチンのように、後半にFWの選手、ストライカーを残しておくチームが、先にストライカーを使うチームに勝つ例を多く見ている。
試合中に近距離シュートの機会の少ない後方のプレーヤーの方に、待ち時間が心理的な圧迫を与えるのだろうか。
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イングランドが去って、決勝はアルゼンチンと西ドイツ。ワールドカップ90は、この日をいれて、あと4日で終わることになる──。
私の回想は電話のベルで破られる。日本の新聞社からの連絡だった。
世界はもちろん、日本でもワールドカップ報道はずいぶん盛り上がっているという。