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90年W杯へ二つの関門を突破

 残念ながら、2年後の今年、ブラジルで行なわれた'89コパ・アメリカには出かける時間がなかったが、各国記者のレポートによると、コロンビアは87年に比べると、攻撃のアイデアに乏しかったという。7月のこのコパ・アメリカのメンバーは、2年前とあまり変わっていないから、バルデラーマのコンディショニング、彼とコンビを組む中盤の選手、トップの選手とのパスのやりとりのタイミングなどに問題があったのかもしれない。しかし、そのコパ・アメリカの不満(1次リーグ1勝2分1敗で敗退)を吹き飛ばしたのが、ワールドカップ予選突破だった。

 南米C組で、まずエクアドルとのホームを2−0と先制し、アスンシオンへ乗り込んでの対パラグアイのアウェーは1−2で敗れ、グアヤキルでの対エクアドル第2戦(アウェー)は0−0で引き分けた。そして、対パラグアイのホーム戦に2−1で勝った。コロンビアは、これで2勝1分1敗、得点5、失点3。パラグアイは3試合で2勝1敗、得点5、失点4。パラグアイが最後の対エクアドル戦に勝てば、この組の首位になるところだったが、エクアドルが0−1の劣勢から3点を奪って大逆転した。

 ユーゴ人のドラスコビッチ監督の指導のもとに力をつけてきたエクアドル代表は、'89コパ・アメリカでウルグアイに勝ち、アルゼンチンと引分けて1次リーグの“驚き”となったが、W杯予選のホーム・ゲームで南米サッカーの“先進”パラグアイを倒して声価を高めるとともに、同じ南米の北地域のコロンビアの援護をしたことになる。

 コロンビアにとって、関門はまだもう1つあった。オセアニア地域を勝ち抜いたイスラエルとのプレーオフ。宗教上、政治的問題のため、中近東のアラブ諸国のグループには入れないこの国は、オセアニア諸国と予選を行なったのだが、もともとレベルが高く、激戦を勝ち抜いてきた。コロンビアは、このイスラエルにまずホームで勝ち(1−0)、次いでアウェーでの試合を0−0で切り抜けた。イスラエルはヨーロッパで働く5人を呼び戻し、勝機とみていたが、シュートがポストに当たったり、イギータの正面に飛んだりして得点できなかった。

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