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サッカーはカリブ海から

 コロンビア代表の活躍とともに、リベルタドーレス杯でのナシオナル・メデリンの優勝は、この国のサッカーに大きな自信を持たせ国民を喜ばせた。トヨタカップに来日するこのチームについて、あるいは南米クラブ王座への足どりについては、すでに本誌でも紹介されているので、詳しくは触れないが、外国から輸入スターのいない「コロンビア人のチーム」が「コロンビア人の監督」に率いられて、初めて南米チャンピオンをもたらしたのだから……。

 こうした、現在のコロンビア・サッカーのレベルアップには、いくつかの状線があり、長い年月の積み重ねがある。

 コロンビアにサッカーが道入されたのは、20世紀初めといわれている。

 1492年、コロンブスがアメリカ航路を発見してから300年余、スペインの統冶下にあったこの地方は、1810年7月10日に独立を宣言する。スペイン本国は、これを鎮圧しようと軍隊を送り、シモン・ポリバール将軍がこれを破ったのが1819年、そして今年のトヨタカップ開催日と同じ12月17日に「大コロンビア共和国」の結成を宣言した。今のエクアドル、ベネズエラ、パナマをふくんだこの大きな国は、これを統合する強力な政府がつくれないため、まずエクアドル、ベネズエラが分離し、次いで20世紀初頭に、パナマもアメリカ合衆国のあと押しで独立してしまう。

 その間、政情不安や騒乱、市民戦争があい次いだ。そんななかでも、人々の生活のために商業、貿易が営まれ、当時、7つの海に商船が往来した英国との交易が盛んになる。カリブ海の港湾都市として、早くから開けたパランキリャがその中心だった。

 人が動いて交流があれば遊びの交流もある。19世紀末から20世紀初頭に英国人が動けばスポーツ、特にサッカーがついてまわる。

 別表のサッカー小史にあるとおり、1924年には、カリブ海のバランキリャ市周辺のクラブを集めたLIGA DEL FOOTBALL DEL ATLANTICA(LFA)が設立される。このLFAは、今のコロンビア・サッカー連盟の前身だが、カリブ海に浮かぶ島々、たとえばトリニダード・トバコでは1906年に、ジャマイカでは1910年にサッカー協会が設立されているから、この点ではカリビアンの方がコロンビアより先輩だったといえるし、同じ南米の北側(カリブ海側)でも東方のスリナムでも、協会設立は1920年と少し早い。それだけ、ヨーロッパに近いということだろう。

 カリブ海側から導入されたサッカーだから、関係者の顔はしばらくカリブの方に向けられるのもまた当然だった。

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