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ラプラタ勢との力の差

 1931年にFIFA(国際サッカー連盟)に加盟、それより以前から結成されていた南米サッカー連盟に加わるのは1940年になってから。しかし、カリブ海・中央アメリカ・サッカー連盟(CCCF、1938年設立)のメンバーでもあり、国際試合もメキシコ、コスタリカ、パナマなどが相手だった。南米大陸といっても、北と南でははるか遠い国。ブエノスアイレス(アルゼンチン)とバランキリャのチームが交流するためには、第2次大戦後の航空機の発達期まで待たなければならない。

 1945年、チリで行なわれたコパ・アメリカに初参加したコロンビアは、8か国中5位。ボリビアに3−3、エクアドルに3−1と、同じ“北部”のチームには勝ったり引き分けたりしたが、ブラジル(0−3)、ウルグアイ(0−7)アルゼンチン(1−9)、チリ(0−2)には歯が立たず、ことにウルグアイやアルゼンチンには大量点を奪われ、ラプラタ勢との力の差を知らされた。

 1946年、第4回CCCF大会をバランキリャで開催したコロンビアは、キュラソ、プエルトリコ、コスタリカ、パナマ、グァテマラの中米、隣国ベネズエラに勝って、初の国際大会優勝に輝いたが、これ以降、中米・カリブ海の仲間と別れ、コロンビアは南米サッカーの一員として、レベルの高い国々にもまれることになる。

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