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W杯開催は返上となったが……

 1974年、西ドイツのフランクフルトで開かれたFIFA総会で、86年のW杯開催地がコロンビアに決まった。同時に、スタンレー・ラウス氏から現在のジョアン・アベランジェ氏にFIFA会長は交代した。新会長の公約は、W杯本大会出場枠を16から24に増やすというものだった。会長選挙のために、アフリカやアジアの新興国への人気取りの策という声もあったが、アベランジェ氏はサッカーの各地域の発展のために積極策を唱えたのだった。

 次の78年、アルゼンチン大会では本大会出場はまだ16か国で、試合数も西ドイツ大会と同じ36、日程にもまだ余裕があり、わたしのように、できるだけたくさんの試合を見たいと思う者でも、会場となる都市の間を飛び歩く中で、その土地の歴史や風物を見る余裕もあった。

 82年のスペイン大会で、16チームから24チームという8チームの増加が、どれほどの規模拡大になるかを多くの人が知った。アルゼンチン大会では、ブエノスアイレス、コルドバ、ロサリオ、マルデルプラタ、メンドーサの5都市だったが、スペインでは全52試合の会場は14都市にも及んだ。しかし、もともとスペインはそれぞれの都市がスタジアムを持っており、新設は少なく、ほとんど改修で済んだのだ。コロンビアではどうなるのだろうか……一抹の不安を覚えた。

 スペイン大会の後半の中心地となったマドリーのプレスセンターに設けられた次期開催国のサービスコーナーで、コロンビア・コーヒーのマイルドな味を楽しみながらも、そこに次の開催地としてのポスターやパンフレットなどもなく、淋しさと危惧を覚えたのだった。

 コロンビア・サッカー協会は、試合数が増え参加チームも増えた24か国大会開催に向けて政府のバックアップを訴えたが、経済的困難もあって、支持は得られなかった。

 82年11月、コロンビア協会は、FIFAからの「86年大会を24か国開催できるか」との問いに「不可能」と回答し、W杯開催を放棄した。

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