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コリアン・パワー今昔

 廬廷潤(ノ・ジュンユン)、尹晶煥(ユン・ジョンファン)、金都根(キム・ドグン)といえば、今や森島寛晃と共にセレッソ大阪の顔ともいえるコリアン・パワー。それぞれの個性と、韓国選手共通のがんばりは多くのサポーターを引きつけているが、3人のプレーを見るたびに、数多くの彼らの先輩スポーツマンを思い出す。
 その1人が安在成(アン・ヂェソン)(1935〜2000年)。大阪の建国高校のホッケー部の監督として、多くの選手を育て、日本での一勢力となっただけでなく、58年の第3回アジア大会(東京)には、この高校のOBによるチームで韓国代表として参加し、開催国日本を抑えて銅メダルを獲得した。
 安さんのこの競技への情熱は、今も関西ホッケー界に引き継がれているが、サッカーでも彼の次男、安虎鎮(アン・ホジン)(31)が、セレッソ大阪で通訳としてコリアン・パワーとチームのために働いている。
 サッカーの李昌碩(リ・チャンソク)は安さんより2歳若い37年生まれ。兵庫県の芦屋高校、関西学院大で出色のボールプレーヤーで、優れたリーダーでもあった。関学では関西学生リーグ3連覇、天皇杯2連勝(58、59年)の実績を持ち、当時どん底状態にあった日本サッカーの中で少数派の「ボールをつなぐ」チームの中軸だった。
 関学卒業後は東京の朝鮮大学の講師となり、在日朝鮮人のサッカーレベル向上に力を尽くした。彼の孫弟子の中にJリーグや韓国Kリーグに加わる者も現れている。
 98年フランスワールドカップの日本代表の岡田武史監督は大阪人。そのルートを開いた加茂周監督は芦屋育ち、芦屋高校、関西学院大学でサッカーに熱中したのは「李さんのおかげ」だった。日本人最初のサッカープロコーチとなった加茂周を導いた李さんは、若き日の自分とダブらせて02年を待っている。

(朝日新聞 2001年5月29日)

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