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歴史が息づく2会場

 ワールドカップの日本での舞台となる10会場の中で、大阪と神戸のスタジアムはそれぞれ2代目。その初代誕生日のエピソードにも、土地ごとのサッカーの歴史が反映されている。
 大阪市が広大な長居競馬場の跡地利用にスポーツ施設を企画し、長居陸上競技場として完成したのは64年の東京オリンピックの時。こけら落としに各国陸上選手によるアフターオリンピックを開催したが、「アフターでなく、本物のオリンピックを」と企画したのが大阪のサッカー人たちだ。
 「1次リーグの1グループを関西へ」との案が組織委員会事務局で拒否されると、国際サッカー連盟(FIFA)のラウス会長(当時)を動かし、FIFAの責任で、準々決勝の敗者4チームによる5、6位決定戦を提案。同年10月20日にユーゴ対日本(6-1)、ルーマニア対ガーナ(4-2)、10月22日にルーマニア対ユーゴ(3-0)が実現した。
 関係者の努力もさることながら、当時の春日弘・大阪陸協会長をはじめ、陸上競技関係者の協力があってのこと。「大阪にもオリンピックを」との心意気は21世紀も続いている。
 サッカー発祥の地を自認する神戸に、日本初の本格的照明設備を持つフットボール(サッカー、ラグビー)場が生まれたのは69年。
 兵庫のサッカー復興を願う加藤正信ドクター(故人)らを中心とする神戸のサッカー人グループが、スタジアム建設を目指して署名運動を展開。神戸市と市議会に働きかけて実現にこぎつけた。御崎球技場と呼ばれたグラウンドは、ベッケンバウアーらからも芝生の良さを称賛され、日本リーグ釜本邦茂の200ゴールをはじめ、数々の記録と名勝負の舞台となる。
 ワールドカップに向け、大阪は長居競技場の大改装の際、スタンドの3分の2を覆う屋根をつけ、セレッソ大阪のホームとして親しまれている。神戸では同じ場所に、新しくウイングスタジアムを建設中だ。当初から「球技専用」として設計され、大会後はヴィッセル神戸のホームとして、開閉式屋根を持つスタジアムとなる。

(朝日新聞 2001年5月26日)

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