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関西人の先見性

 アメリカでは女子のプロリーグが昨年始まったが、日本女子サッカーリーグ(Lリーグ)は89年にスタートし、すでに10年以上のキャリアを重ねている。チーム数も6から10に増え、日本サッカー協会の女子プレーヤー登録者数は当初の約20倍となり、約2万人を数える。
 一方、サッカーの母国イングランドの女子サッカーの歴史は、16世紀までさかのぼる。もちろん、手を使ってはならないというルールが確立する以前の話だ。1890年代には、女子の試合に1万人もの観客が集まった。
 「PICTORIAL HISTORY OF SOCCER」という本には1895年、英国の女子サッカークラブによる最初の試合の絵が載っている。多くの観客がグラウンドを囲む中、ストッキングをはき、くるぶしまで隠れる深い靴、ブルマー、長そで姿の女性たちがボールを追いかけている様子が描かれている。
 スコットランドでは18世紀、エディンバラ近くで、既婚チームと未婚チームの慈善試合が定期的に開催されたという記録も残っている。
 他のヨーロッパ諸国では、57年に非公式の欧州選手権大会が西ベルリンで開かれてから一気に盛んになった。それが南北アメリカにも広がり、91年、FIFA(国際サッカー連盟)主催の女子世界選手権が始まった。この時、日本の女子代表チームは、男子より一足早くワールドカップ(世界選手権)の本大会に進出した。
 60年代、「日本サッカーの興隆のためには、まず女性がプレーを」と説いたのは田辺五兵衛・元関西サッカー協会会長(故人)だった。兵庫県サッカー協会の高砂嘉之会長も、日本サッカー協会の女子委員長を務め、81年にはイングランドとイタリアを招いて神戸市内で女子による国際試合を開いた。女子選手が国際経験を積み、国内のトップリーグ設立のきっかけになった。
 日本の女子サッカーを育ててきたのは、こうした関西人の先見性だった。

(朝日新聞 2002年1月22日)

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