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「33番目」のチームに注目

 サッカーの02年ワールドカップ(W杯)1次リーグの組み合わせが決まり、いよいよ本番が待ち遠しくなってきた。いま、ちまたでは32チームの勝敗予想がしきりだが、主催者である国際サッカー連盟(FIFA)の次の重要な仕事の一つが、大会の審判を決定することだ。
 各大陸連盟が推薦するレフェリーの中から、レフェリー(主審)とアシスタントレフェリー(副審)それぞれ34人ずつをFIFAが指名し、1月下旬に発表する。
 この68人は、いわば大会のピッチに立つ「33番目」のチーム。この中から各試合に4人(主審1、副審2、第4審1)ずつ審判を送り込む。それぞれがすでに高い能力を持つが、3月に研修を開いて審判同士の理解を深め、世界が注視するW杯の各試合をコントロールする重責を担う。
 かつてサッカーの国際試合ではトラブルが絶えなかった。W杯でも、試合に両チームの選手が更衣室で乱闘に及んだ54年の「ベルリンの戦い」や、欧州の審判が主審を務めた試合で南米チームに退場者が出た66年の「ラチン事件」のように、対立のしこりを残すこともあった。
 こうした問題の多くは、その背景にレフエリーの判定に対する不満や疑問があったことから、第6代FIFA会長のスタンレー・ラウス(1895〜1986)は、世界中のルール解釈の統一をはかり、各地域の審判能力アップに力を入れた。
 彼は若いうちから、審判としての才能に目覚め、36の国際試合で笛を吹いた。さらに、その統率力が見込まれ、教師からイングランドサッカー協会の事務局長となり、61年には選手でFIFA会長にまで上りつめた。74年に退くまでW杯とオリンピックの各3回の開催に立ち会った。
 その間、最も力を入れたのが審判のレベル向上だった。審判についてのガイドラインを作成したり、現在の対角線審判法(レフェリーがピッチを対角線上に動く)を生み出したりしたのはこの人だ。イエローカード、レッドカードも、彼が会長の時に採用した制度だ。
 彼の跡を継いだ実業家のアベランジェ前会長はW杯の参加チーム数を増やして観客数を伸ばし、興行的な成功を重ねたが、その陰にはレフェリー出身のスタンレー・ラウス氏の地道な努力があったことを忘れてはなるまい。

(朝日新聞 2001年 12月11日)

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