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レナトとエバートン

 オスカーの来日2シーズン目に、日産はリーグと天皇杯の2冠を達成する。サッカーは一人でやれない競技だが、また、一人の力の大きいことを示した年でもあった。
 練習の態度、サッカーに打ち込む姿勢は、日本人が考えている“ブラジル人は楽天的”といったイメージからはほど遠い。守りにスジを通しただけでなく、日産の個性的なプレーヤーを一つの目的に向かって走り続ける集団にまとめた。
 彼は、次の89ー90シーズンに加茂監督のあとを引き継いで監督となり、再びチームを2冠に導いたが、このとき彼は、かつてのブラジル代表でチームメイトだったレナトと、若いサンドロを迎え入れる。サンドロは長身のディフェンダー、レナトはストライカーだが、チャンスメーカーとしても活躍し、連覇に貢献した。
 同時にオスカーは、ブラジル人のフィジカルコーチを招いて、テクニコとフィジコが一つのチームになっているブラジル型の考えを導入した。
 プロフェッショナル(ライセンス・プレーヤー)である以上は自分の技術を90分の試合の中で発揮できる体力がなければならぬーというごく当たり前で、難しい仕事を、ブラジルのフィジカル・フィットネスによって達成に近づけた。
 大物の加入によってチームにシンを通すことが、次にブラジル流の体力作りにまで及んだが、実践面で、第二の大物レナトは、チャンスにはきちんと点を取るとともに、その安定したキープ、鋭い突破で攻撃陣をリードした。南米のプレーヤーは感情の起伏が激しく、日本でもレフェリーの判定に対する不満や、相手との接触プレーから再三トラブルが起こった。しかし、さすがにブラジル代表は、ファウルをすることを知っていても冷静を保って、トラブルを起こさず、ようやく高まったフェアプレーの風潮の中でのモデルとなった。
 読売によって、一つのスタイルとなったブラジル流に、日産は大物加入によって新しいチーム作りを行ったわけだが、オスカーが監督を退いたあと、チームの生え抜きの選手だった清水秀彦が監督に就任。サンドロの代わってエバートンが加入し、このチームはいよいよ読売と並ぶリーグの大きな柱となった。

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