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デットマール・クラマー(下)

日本リーグと欧州での合宿、転戦

 1965年(昭和40年)6月6日、企業の8チームによる日本サッカーリーグがスタートした。前年の東京オリンピックの直後、デットマール・クラマーが日本を去るにあたっての提言の一つ「日本の選手とチームのレベルアップのために、欧州で行なわれているようなトップリーグをつくること」を、代表の監督、コーチであった長沼健、岡野俊一郎を中心とする当時30歳代のグループが推進力となって、実行にこぎつけた。
 参加したのは関東から古川電気工業、三菱重工業、日立製作所本社、中部から豊田自動機械、名古屋相互銀行、関西からヤンマーディーゼル、中国から東洋工業、九州から八幡製鉄、前期(7月4日まで)後期(9月12日〜11月7日)まで、夏の中休みをはさんでのホーム・アンド・アウェーの長期リーグは、プロ野球以外の日本スポーツ界で初めてのものだった。
「試合終了のホイッスルは、次の試合へのキックオフの笛である」というクラマーの教え通り、東京オリンピックの直後から、トップリーグを計画し、実行した彼の弟子たちは「毎年、欧州へ長期遠征する」という彼の提言をも実行した。66年(昭和41年)のアジア大会で好成績を挙げること、68年(昭和43年)のメキシコ・オリンピックのアジア予選は必ず突破すること──そうでなければ、せっかく、東京オリンピックで高まったサッカーへの関心は再び下降する──。日本リーグと並行して代表チームの強化の手を緩めることなく、時間と努力を費やすことが必要だった。


66年、西独は世界2位、日本はアジア3位

 66年はクラマーにも重要な年となる。西ドイツサッカー協会(DFB)の育成担当コーチの彼が育てたベッケンバアーたちの代表が、66年ワールドカップ・イングランド大会のファイナリストとなった。延長の末、4−2でイングランドに敗れはしたが、フェアで闘志あふれる戦いぶりは高く評価された。監督であり恩師でもあるゼップ・ヘルバーガーを兄弟子のヘルムート・シェーン(アシスタントコーチ)とともに助けたクラマーにとって、ベッケンバウアーを相手のキーマン、ボビー・チャールトンのマーク役にしないで、攻撃的役割を──といった積極策が採用されなかったのは、残念だったろうが…。

 その年の12月、バンコクで開催された第5回アジア大会で、日本代表は3位となる。12月10日から19日までに7試合という過酷なスケジュールは、動きの多い日本式サッカーには大きく響いて、グループリーグでは3−1で勝ったイランに、準決勝で敗れた(0−1)のだが──この大会にもクラマーはオブザーバーとして観戦し、日本の成長を眺めた。


メキシコ五輪予選を突破

 67年(昭和42年)の日本代表の目標は9月27日から10月10日までのメキシコ・オリンピック予選アジア第1地区の予選突破だった。
 6月にブラジルのパルメイラスとの3連戦を行なった。スコアは0−2、2−1、0−2と1勝2敗。ワールドカップで活躍したジャマ・サントスをはじめ、スターぞろいのプロチームからの1勝は自信につながった。得点は釜本の強引なシュートと小城のPKだった。FIFAのコーチとなってアジア巡回指導を始めていたクラマーが、来日して対パルメイラス作戦をアドバイスしたのも効果があった。
 夏の海外転戦はヨーロッパでなく南米、ペルーとブラジルで合計6戦(1分け5敗)の経験を積み、選手たちは南米のプレーヤーの技術の高さを知った。
 東京に終結したアジア第1地区の6チームは日本、フィリピン、中華民国(台湾)、レバノン、南ベトナム、韓国、日本は9月27日の第1戦でまずフィリピンを15−0の大差で破り、台湾(4−0)レバノン(3−1)と連破して、10月7日、韓国と3−3の激闘の末、引き分け。10日の最終戦で南ベトナムを1−0で破って、この地区の代表となった。対韓国、対南ベトナムの息づまる接戦はNHKテレビで全国に伝えられ、最終戦は視聴率が24パーセントに達した。


釜本邦茂の西ドイツ留学

「終了のホイッスルは…」の言葉は、この勝利の5日後の日本リーグ後期再開、さらには12月の三国対抗と続き、そのシーンの最中に釜本邦茂の68年冬期の西ドイツ単身留学が発表された。67年4月に早大を卒業してヤンマーディーゼルに入社していた釜本に、西ドイツの高いレベルの中で経験を積ませるプランは、早くからヤンマー側で検討され、岡野コーチ、クラマー、西ドイツ協会によって留学先が決まったのだった。

 68年1月18日、日本を去るクラマーを羽田空港で見送ったとき、「わずか2ヶ月で釜本に留学の成果を期待できるだろうか」との私の問いに「釜本はいま、トラッピングしてからフェイントで相手をかわし、シュートへ入ってゆく動作が遅い。イチ、ニー、サンといった調子だが、これが一挙動のように早くなるだろう」と答え、「帰ってきてからのカマモトを見てくれ」と自信たっぷりに言ったものだ。
 その言葉通り、2ヶ月の西ドイツ・ザールブリュッケンでの研修から、メキシコへ飛んで、日本代表のメキシコ、豪州遠征に合流した釜本は、3月26日から4月6日までの5戦シリーズで見事な変身ぶりを見せた。その年の4月14日、西宮での日本リーグ開幕第1戦(対名古屋相互銀行)の開始20秒で彼が演じた反転してのシュートの得点で、そのターンからシュートへかかる早さに私は驚きの声を上げたものだ。
 66年のアジア大会でも、67年のオリンピック予選でも、釜本はゴールを量産したが、アジアレベルでのこと。代表チームはヨーロッパ、南米の格上チームとの試合では決定力不足を指摘されていた。それが彼の大変貌で好転した。


欧州チャンピオンよりメキシコ銅メダル

 ローマ・オリンピックの年からスタートして8年、クラマーと彼の直弟子、長沼、岡野コンビによるチームづくりは、最終段階に入ってストライカーの成長を加え、68年5月の対アーセナルをはじめ、夏の欧州遠征で格上チームとの試合で磨きをかけ、高地対応にも万全策をとり、10月のメキシコで、その蓄積のすべてをぶつけた。
 1次リーグは、第1戦のナイジェリア戦は釜本のハットトリックで2点差の勝ちとなり、第2戦は渡辺正の交代策がブラジルとの0−1を1−1の引き分けとし、準々決勝の組み合わせを考えて、第3戦はスペインを相手にあえて引き分けを狙う余裕を見せた。これには第1戦の2得点差が生きている。
 準々決勝は伝統あるフランスを3−1で撃破。クラマーは選手たちに「君たちは歴史をつくった」とたたえ、準決勝でハンガリーに0−5と大敗すると「金や銀もいいが、銅の色もいいものだ」と選手たちを鼓舞した。
 開催国を破っての3位獲得。釜本はこの試合の2点を含めて合計7ゴール。大会の得点王となった。

 クラマーはこの7年後、バイエルン・ミュンヘンの監督となって、ヨーロッパ・チャンピオンズカップに優勝したが、そのときのインタビューで「この欧州チャンピオンもうれしいが、私にとって最高の勝利はメキシコ・オリンピックの銅メダル」と答えている。


★CRAMER MEMO

メキシコ五輪サッカー予選
 メキシコ・オリンピックは1968年10月12日から27日まで、メキシコシティで行なわれた。18競技に112ヶ国、5530人が参加、サッカーは参加申込み国82(当時の加盟数127)、このうち自動的に本大会に進むハンガリー(前回優勝国)メキシコ(開催国)を除く80ヶ国(実際は棄権が18ヶ国あり、62ヶ国)が地域予選を争った。

 ▽欧州(申込み20、棄権3、代表4)チェコ、ブルガリア、フランス、スペイン
 ▽アフリカ(申込み17、棄権3、代表3)ギニア、ナイジェリア、ガーナ
 ▽中北米カリブ海(申込み17、棄権3、代表2)グアテマラ、エルサルバドル
 ▽アジア(申込み18、棄権7、代表3)日本、タイ、イスラエル
 ▽南米(申込み10、棄権2、代表2)ブラジル、コロンビア

 以上14の国が出場権を獲得した。
 アジア地域は18チームを3組(各6チーム)に分けて、各組の首位が代表となった。日本の第1組は6ヶ国がそろったが、第2組は3ヶ国が棄権で、残り3ヶ国によるリーグ(3試合)でタイが2勝1敗でイラク、インドネシアを抑えて首位、第3組は4チームが棄権してイスラエルとセイロン(現・スリランカ)だけになり、イスラエルが2勝した。

メキシコ五輪大会成績
 16チームを4組(各4チーム)に分けてグループ内のリーグを行ない、上位2チームが準々決勝へ。

 ▽A組
 (1)フランス(2勝1敗、得点8、失点4)
 (2)メキシコ(2勝1敗、得点6、失点4)
 (3)コロンビア(1勝2敗、得点4、失点5)
 (4)ギニア(1勝2敗、得点4、失点9)

 ▽B組
 (1)スペイン(2勝1分け、得点4、失点0)
 (2)日本(1勝2分け、得点4、失点2)
 (3)ブラジル(2分け1敗、得点4、失点5)
 (4)ナイジェリア(1分け2敗、得点4、失点9)

 ▽C組
 (1)ハンガリー(2勝1分け、得点8、失点2)
 (2)イスラエル(2勝1敗、得点8、失点6)
 (3)ガーナ(2分け1敗、得点6、失点8)
 (4)エルサルバドル(1分け2敗、得点2、失点8)

 ▽D組
 (1)ブルガリア(2勝1分け、得点11、失点3)
 (2)グアテマラ(2勝1敗、得点6、失点3)
 (3)チェコ(1勝1分け1敗、得点10、失点3)
 (4)タイ(3敗、得点1、失点19)

 ▽準々決勝
  *日本 3−1 フランス
  *メキシコ 2−0 スペイン
  *ハンガリー 1−0 グアテマラ
  *ブルガリア 1−1 イスラエル
 (延長、抽選による)

 ▽準決勝
  *ハンガリー 5−0 日本
  *ブルガリア 3−2 メキシコ

 ▽3位決定戦
  *日本 2−0 メキシコ

 ▽決勝
  *ハンガリー 4−1 ブルガリア


(月刊グラン2001年5月号 No.86)

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