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ラモスとカズ

 一方、読売は90ー91年シーズンにブラジル・サッカーを身につけたカズこと三浦知良が帰国して合流。ラモスとともにチームを引っ張ることになる。ラモスはすでに帰化して日本国籍となり、アジア大会でも日本代表として出場したから、もうブラジル人ではないが、カズとともに日本におけるブラジル・サッカーを代表するプレーヤーには変わりない。
 ラモスは、レナトやオスカーのようにブラジルでの華々しい経歴はないけれど、13年間の日本でのプレーを通じて、本領であるタテに速いドリブルに、試合を読む目の確かさ、パスコースの多彩さと正確度、テンポの変化といったゲームメイクに必要なすべてをつけ加えた。若いころはスピードにまかせた突破が得意なプレーヤーは、ゲームセンスやパスの感覚といった点での進歩が遅い選手も多い。その点、ラモスの向上ぶりは目を見張るものがあった。
 天性の素質と努力、サッカーへの情熱などに支えられた彼のプレーは、彼ひとりを見るだけでもサッカーの面白さの全てが味わえるほど。膝から下の小さな振りでのパス、前進しながらの浮き球、ヒール、ソールでのパスーといった細かいテクニックから、スピードの落差の大きいドリブルなどは、日本の少年たちに新しいサッカーのイメージを植えつけた。
 三浦知良は、独特の大きな切り返しを武器に、ラモスの直線的な動きとは別に、斜め横へボールを持って出ることでチームの展開を多彩にし、自らもゴールを目指すようになって、読売の攻撃はさらに変化がついた。
 91ー92年の日本リーグ最後のシーズンには、ブラジルから大物監督ぺぺを招いた。サントスでペレとプレーしたかつての名FWで、監督の経験も深い彼は、フィジカルコーチを連れてくるとともに、代表経験のあるFWトニーニョを加えて、万全の体制でリーグを乗り切った。
 長年培った、このクラブの少年育成の仕組みから多くの選手が育ち、彼らが演じるサッカーは、日本に新しいサッカーの楽しみ、新しいスポーツの良さを浸透させた。 ゲームに集まるファンの数は倍増し、クラブの自由な空気で育ったプレーヤーの言動やスタイルは若者の共感を呼んで、サッカーの隆盛の起爆剤ともなった。
 学生時代にサッカーに熱中した、作家であり政治家でもある石原慎太郎氏は、かつて日本のサッカーはドイツやヨーロッパをマネているが、南米スタイル、ブラジル・スタイルでいくべきだーといったことがある。その主張に全面的に賛成できかねる人があったとしても、作家の鋭い指摘が、いま実際に成果として現れていることには、誰も異論はあるまい。
 5月15日にスタートするJリーグには27名のブラジル人が働くことになる。
 ブラジルと日本、地球の反対側にある両国ー相反する風土と気質がサッカーを通じて交流し、一つのスポーツ文化をつくりあげてゆく。これからのJリーグには、はかりしれない楽しみがある。

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