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ブラジル対アルゼンチン(アルゼンチン・サッカー協会100周年記念試合)

 1993年2月18日のブエノスアイレスはお祭りのようだった。1893年創立のアルゼンチン・サッカー協会が100周年を迎えるのを記念し、リバープレートのモヌメンタル・スタジアムで、ブラジルを迎えて親善試合を行うーそれも、あのマラドーナが代表に復帰する第一線として…。
 1978年にワールドカップを自国で開催して、2千万国民の目の前で優勝したのが15年前。メキシコで二度目のワールド・チャンピオンに輝いたのが1986年、7年前だった。その二度目の優勝の立役者で、3年前のイタリア・ワールドカップではチームを準優勝に導いたディエゴ・マラドーナ。コカインの不法使用という不名誉な事件のあと、ようやくサッカー社会に復帰し、スペインのセビリアでプレーを続けるマラドーナが、再び代表チームのユニホームを着る。
 彼の罪を憎んでも、マラドーナを憎むことはできないーというより、いぜん愛し続けるポルティーニョにとっては、まさに“復活祭”といえた。もちろん、現在の代表チームが21戦無敗の好成績を収めていることもある。シメオネ、バティストゥータ、カニーヒアらの人気者が揃う。そして相手は、“永遠のライバル”ブラジルなのだ。入場券7万枚が、前日までに売り切れたのは当然といえた。
 ブラジルは、サッカーのスタートそのものはアルゼンチンよりはるかに遅かったが、世界の王座に続いたのは1958年。以来62年、70年と三度優勝した。このペレの活躍期を過ぎてから、不思議にもワールドカップの優勝はない。しかしながらブラジルは、ワールドカップでいつも、最も注目され、尊敬されるチーム。1978年にアルゼンチンが初優勝したときも、ブラジルとは0-0の引き分けだった。82年のスペイン大会では2次リーグで顔を合わせ、ブラジルが快勝。86年メキシコ大会は、ブラジルが準々決勝でフランスに敗れたため、マラドーナとビラルド監督のチームは、このライバルと顔を合わせることなく優勝への道を選んだ。90年イタリア大会は決勝トーナメント1回戦で激突し、アルゼンチンが1-0で勝ちはしたが、ブラジルが圧倒的に攻勢で、アルゼンチンはただ一度のチャンスをつかむという、奇跡的な勝利だった。
 午後9時キックオフのこの試合については、すでにダイジェストでもレポートされているので詳述しないが、キャプテンマークをつけたマラドーナは、ときおり彼特有のパスを出してファンを喜ばせたこと。アルゼンチンが15分にマンクーソのシュートでリードし、ブラジルがルイス・エンリケのヘディングで61分に同点としたこと、をここではお伝えしておこう。
 ブラジルのラインナップは、●GKタファレル●DFカフー、セリオ・シルバ、リカルド・ゴメス、ブランコ●MFマウロ・シルバ、ルイス・エンリケ(ドゥンガ)、ライー、バルド●FWカレッカ(ミューレル)、ベベートで、親善試合とはいいながら両国のライバル意識は強く、バルドとルジェリがレッドカードで現場処分を受けた。
 マラドーナ復帰のお祭りムードが響いたのか、この試合でのブラジルは、前半はプレーに落ちつきがなく、またライーの不調もあって、アルゼンチンが優位に進めた。ブラジルは後半の同点ゴールで立ち直り、調子を取り戻したが、これからというところで両チームに退場者が出てペースダウンしたという。
 例によってブラジルのメディアは手厳しい批評をしているようだが、アルゼンチンへ乗り込んで引き分けるのは、チームに力がある証(あかし)。特に現在のアルゼンチンは、個人のレベルもチームワークもよく、ホームでの試合に備えて準備も十分のはず。それを1-1だったというのは、高く評価していいと思う。

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