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阿部勇樹 「右足が扉を開く」

ユース時代から将来を嘱望され、エースとして活躍してきた。
そして、トルシエ時代にはアテネ五輪世代で唯一、日本代表候補にも選ばれた。しかし、そんな逸材も大舞台には縁がない。ことあるごとに、怪我に泣かされてきたのだ。
2003年、久々に万全の状態でシーズンを迎えた阿部勇樹は、その黄金の右足で、アテネ五輪への扉を開く。



阿部勇樹という若いプレイヤーに会ってみたいと思っていた。国際試合でのFKのゴールに興味を持ったのは事実だが、それよりも、日本では珍しく強いボールを蹴ることのできるタレントに会い、その育ち方や考えを聞きたかったからだ。


――4月1日の対コスタリカ戦のFKで、阿部勇樹の名は日本中に知られるようになりました。テレビのスローで、相手が作った5人の壁の右を通り、左へ曲がって、ゴール右ポストぎりぎりにボールが飛び込む場面を見た人は、“足で蹴る”という技の面白さを改めて知ったことでしょう。阿部選手自身は、初めから自信があったのですか。

「FKは、いまもとくに自信があるわけでもないんです。リーグ戦で決めているわけでもないですし……。ただ、あのときは壁やGKの位置を見て、もう一人の左のキッカー(根本)に、(僕が)蹴りたいと言いました」

――壁の感じから、これはオレの出番と思ったわけですね。では、ボールが壁を巻くようにして、ゴールに吸い込まれていくときの気分はいかがでしたか。

「壁があって、最後のところが見えなかったんです。こうやって(首を伸ばす仕草をしながら)、ようやく分かりました。これまでは、代表に選ばれても怪我ででられないことが多かったので、大事な場面で(ゴールを)決められてホッとしました」


◆当時のコーチがいろんな蹴り方を練習させてくれた

――ジェフユナイテッド市原(以下、ジェフ)には、Jr.ユースから所属しているんですよね。

「小学校6年生のときの春にJリーグが始まり、ジェフにもJr.ユースのチームがあると聞いたんです。ほかのクラブも受けたんですけど、落ちちゃいました。で、実家(市川市)からも近いのでここに。サッカーは小学校(富美浜小)のときに部活で始めて、市川市の選抜チームにも入りました。ジェフのJr.ユースのときは中学校(福栄中)のサッカー部にも入って、部の練習もしていましたね。ただ、学校の試合には出ませんでしたけど」

――そんな少年時代、仲間のなかでは蹴るほうが上手でしたか、それともドリブルが上手なほうでしたか。

「どうでしょうね。ボールを蹴るほうが好きだったから……、蹴るほうが得意だったと思います。」

――小学校6年生くらいでも?

「どうやったらあんなに遠くに飛ばすことができるのかな。何かコツがあるのかなと思ったんです」

 足で上手くボールを捉える快感を、小学校5年生くらいのときには感じるようになっていたという。

――中学校くらいのころには、ビューンといった感じの強いタマを蹴れるようになったのですね。

「いや、まだそこまでは……」

――そのころは、主に足のどの部分で蹴っていたのですか。インステップ(足の甲)ですか。

「当時のコーチが、いろんな種類のボールを蹴れるように練習させてくれたんです。インフロントで上げるボール、アウトサイドで曲げるボール、ライナーをインステップで蹴る。やまなりのインステップも……」

 ジェフJr.ユースの内田コーチ、大木コーチといった指導者のおかげで、様々なボールの蹴り方を学んだようだが、このあたりに、アテネ五輪世代の技術進歩の早さが見え隠れする。小学校高学年でJリーグ誕生に直面した彼らは、中学校時代からプロのコーチの指導を受けているのだ。

――中学生のころは、どのポジションでプレーしていたのですか。

「センターバック、またはボランチでした」

――そのポジションから、たとえば右サイドを上がっていく仲間に、パスが届くようになったのはいつ頃ですか。

「高校生になってから、2年生(17歳)くらいですね」

――左足も使っていましたか。

「やはり右足でしたね。『左も練習しろ』とよく言われましたが、なかなか上達しなかった。いまも右と左では差がある。もっと左が上手くなれば、フェイントとかも使えるし、プレーの幅も広がるんですけどね」

 あのヨハン・クライフに、利き足での長いパスは何歳くらいから練習していたかと聞いたことがある。すると「16歳くらい」という答えだった。欧州の選手は、日本人より体が強くなるも少し早いだろうから、阿部選手の17歳で長いパスを送れるようになったというのは、まず、いい線をいっている。長いパスが味方に届くというのは、自分の得意なキックの型ができている(できようとしている)ことなのだから、このころに自分の型、あるいは自分の角度のキックができていることは非常に大切だ。


◆まだまだ、いいボールを蹴れていないと思います。

――ジェフでもU−22代表でもCK(左)を蹴っていますが、ファーポストもニアポストも、どちらもコントロールできるのですか。

「そうですね、大体は。オシム監督(ジェフ)からは、『CKはニアポストを狙って蹴れ』と言われています。サイドからのFKでも、『ファーポストのゴールを狙う感じでいけ』と言われます」

――なるほど。CKにしろFKにしろ、人に合わせるのではなく、ゴールに向かっていくキックで、それに誰かが合わせるようにするのですね。そうしたコントロールキックで、自信のある範囲(距離)はどの程度なのでしょう。

「やはり、力が入っているときには上手くいかない。セットプレーは大事な得点チャンスですから、そこで点を取れば楽になるんですけど、まだまだ自分ではいいボールを蹴れていないと思います」

――ハーフラインからゴールへ蹴ったら、10本蹴って何本入る自信がありますか。

「入ると思いますけど……、ノーバウンドですか」

――まぁ、ノーバウンド。ゴールエリアで落ちてもいいですよ。

「やったことはないですけど、半分以上は決めたいですね」

 ミッシェル・プラティニは、長いパスやFKが得意だった。彼から直接聞いた話では、「16歳のころにはハーフラインからゴールを狙って蹴っていた」という。ゴルフで300ヤード飛ばせる人は、250ヤードまでがコントロールショットになると聞く。同じことで、ハーフラインからの50メートルのシュートが確実に入るようになると、30メートルはコントロールキックになる。つまり、あまり力を入れずに(力まずに)蹴れるようになる。プラティニのロングパスの精度は、若い頃に反復練習したハーフラインからの超ロングシュートが、背景にあると私は思う。

――ところで、いまのポジションは好きですか。ボールを奪うのも面白いと感じていますか。

「ポジションは好きですね。ただ、まだ抜かれない距離を確実に掴んでいるわけでもない。相手と入れ違いになったりすることもありますから……。そんな点を徐々に詰めていきたいです」

――Jリーグで、相手にして嫌な選手というのはいますか。

「いまはいませんが、ストイコビッチはやりにくい相手でしたね。取ろうと思ったときは、遠い位置にいるという感じでした」

――自分も、そういうプレーをしようと思ったことはありますか。

「ドリブルするよりも、味方にパスをして出ていくタイプ。オシム監督にもよく、『前へ出ろ』とは言われます」

――それは大事なこと。現代のサッカーでは第2列、第3列の飛び出しがゴール奪取の大きな要素になることが多いですからね。出ていくタイミングも大切ですね。

「いま出ていけばというのが、一試合に何回かあると思う。そういうときにリスクを冒して出ていく勇気がいるかなと。テレビでスコールズのようなプレーを見ると、自分もやってみたいと思います」

――さて、Jリーグで好調のジェフですが、キャプテンに就任した今季はいかがですか。

「キャプテンといっても、自分がプレーで頑張ることが第一です。これまでは先輩の後をついていく感じもありましたけど、それではいけないとは思っています。オシム監督のサッカーは『走れ、走れ』で、『走りながら考える』ことをしつこく言われる。でも、練習を繰り返すうちに、その意図が分かってきたので、いまは本当に楽しいですね」

――走るのは好きですか。

「嫌いじゃないです」

――ボールなしでも、走るのは好きですか。

「あんまり好きじゃなかった(笑)。でも、それも最近変わってきました。手術(右すねの疲労骨折)をした後に、しばらく体力的にきつかった時期があって、そういう体の調子のためにも走ることが必要だと感じました」

 オシム監督は、1964年の東京オリンピックに、ユーゴスラビア代表のCFとして来日している。阿部との対談の前に短い時間の立ち話をしたが、選手を見る目には自信を持っているようだった。まず走ること、そして考え、自分で判断することを強調し、練習メニューは監督がその日の選手の様子を見て決めるという。いわば、職人芸。それが上手くいっているから、選手達に尊敬され、信頼されている。阿部にとっても、伸び盛りの時期に良い環境にあるといえる。

――U−22代表として、アテネ五輪にはどんな思いがありますか。

「これまでは、代表招集のときに限って、怪我で参加できなかったので、とにかく調子を整えて出場したいです」

――22歳を迎えるこれからが、いよいよ阿部選手が充実していくとき。一日一日が大切ですね。

「オリンピックにしても、同世代の誰もが僕と同じ思いでいるだろうから、自分はそれ以上の気持ちをもってやっていきたい。リーグ戦の成績も(代表になるには)重要になってくると思う。幸い、いまはベストの状態だから、これを維持していきたいです」

 明るくて、それでいて控え目な態度だが、言葉のなかには少年期からボールを蹴ることを繰り返してきた自信と、さらに、その技術と体の力を伸ばそうという意欲が満ちていた。
 インタヴューから6日後の5月21日、対ニュージーランド戦でも、彼は2本の見事なFKを披露した。1本目は、ゴールポストの左上に当てて得点にならなかった。しかし、2本目は左タッチラインから内5メートル、ゴールラインから17メートルの位置からのキックで、ゴール右ポストへカーブを描いて飛び、2点目となる大久保のヘディングシュートを導いた。「FKはファーポストでもゴールに入るように蹴れ」というオシム監督の教え通りのボールだったが、この長い距離を狙ったFKは、ボールを送り込む阿部のキック力を、まさに見せつけるものだった。


阿部勇樹(あべ ゆうき)
1981年9月6日、千葉県市川市生まれ。21歳。178cm、75kg。
Jr.ユース時からジェフユナイテッド市原に所属し、'98年8月5日の対ガンバ大阪戦でJリーグ初出場を果たす。昨季まで、J1通算97試合出場で5得点。今季はオシム新体制の下、キャプテンも務める。U−22代表としてアテネ五輪を目指す。
(フットボールニッポン2003夏号)

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