賀川サッカーライブラリー Home > Stories > >素晴らしい試合と懐かしい果物の味

素晴らしい試合と懐かしい果物の味

エキサイティングな序盤

 フランスやポルトガルといった評判のチームが初戦を落とし、開催国の日本がベルギーと引き分け、韓国がポーランドに勝った。2002年ワールドカップは序盤から、この上なくエキサイティングな大会になりました。
 私もソウルのフランス―セネガルの開幕試合の後、札幌でドイツがサウジアラビアに大勝するのに驚き、次の日は鹿島でバティ(バティストゥータ)やベロンのアルゼンチンの強さを満喫。6月3日には、再び札幌でトッティとビエリの破壊力と、一糸乱れぬイタリアの守りを楽しみました。
 4日はもちろん、埼玉で日本代表の頑張りに興奮。5日は神戸でロシアの要領のよい試合の進め方と若手選手の勢いに、かつてのソ連とは別の顔を発見したものです。
 そして6日から韓国を再訪。釜山(プサン)で王者フランスの絶望的で感動的な10人の戦いを見た後、全州(チョンジュ)でスペイン―パラグアイ、西帰浦(ソギポ)でブラジル―中国を観戦しました。さて、連載第2回目(毎週1回掲載)は――。

鳥致院のモモの味

「ここのモモは韓国一です。ナシもブドウもおいしいので有名です」と金鐘楽(キム・チョンラ)さんは車を運転しながら言った。
 5月30日、ソウルから鉄道の京釜線(キョンプサン)で南へ1時間15分ばかりのところにある鳥致院(チョウチオン)という町に、私はいた。
 大戦争の末期。陸軍航空のパイロットだった私が北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の飛行場で訓練を続け、敗戦直後に南へ移動してこの町に2ヶ月いたことがあった。いわば57年ぶりに、自分の人生の大切な時間を過ごした鳥致院を訪ねるのは、今度のワールドカップの旅のプランの一つでもあった。
 前日、ソウルのインターナショナルメディアセンター(IMC)の旅行係に切符の予約を頼んだとき、大都市・太田(テジョン)のすぐ北にあるから、50余年も前とはすっかり変わっているでしょうと、言われたものだ。
 一帯の田園風景はかつての面影を残してはいるものの、町の中は高層のアパートなども建っていて、定かでない当方の記憶をたぐり寄せるのは難しかった。しかし、金さんのモモの話で、あの年が一気によみがえってきた。
「私もここで1945年8月末から9月にかけて、ナシとモモをたくさん食べました。とてもおいしかったです」
「それと北朝鮮の海州から飛行機で太田に着いて、仲間たちと数人で、列車で来る部隊を待っていたとき、駅前の露天商のオモニから売ってもらったマッカウリの水々しくて甘かったこと。いまも忘れることはできません」と言うと、金さんは「私はいま36歳ですが、私が生まれるよりも、ずっと前から、ここの果物の味を知っておられたのですネ」と喜んでくれた。

韓国の人たちの優しさ

 金さんが私を案内してくれるのは、まさに望外の幸せというところ。この日、駅に降り立ったまではよかったのだが、町の概観がなかなかつかめず、駅で「シティーホール(市庁舎)」を訪ねたところ、「小さな町なので」と、このあたり一帯の燕岐郡(ヨンギグン)の郡庁を教えてくれたのだった。
 その郡庁で町の地図のコピーをもらい、タクシーを呼んでほしいと言う私に事情を聞いて、年配の上司らしき人が、別の部署にいる金さんを呼んで、日本語のできる彼の車で、町の中を案内しなさいと指示してくれたのだった。
 日本のトヨタの工場で働いた経験があり、郡庁の建設課に勤める金さんのおかげで、ソウルへ帰る列車までの短時間ではあったが、蓮花寺(ヨンハーサ)という、この界隈で一番大きなお寺や、ダムなどを見てまわった
 昔、少年たちと雨の日にボールを蹴った小学校は、付近の景観の変わりが大き過ぎて確認することができなかった。
 しかし、ともかくも、大戦で死ぬものと決めていた若者が再びまるいボールへの思いを復活するきっかけとなった鳥致院を訪れることができただけでも、満足するべきだろう。
 それも、いきなり57年前の話を持ち込んできた、見ず知らずの老人の願いをかなえようと心をめぐらせてくれた駅員さん、郡庁の職員の皆さんの親切のおかげだった。
 ワールドカップの開幕を控えてのソウルからの小さな旅は、韓国の人たちの優しさと親切心に出会う機会となった。

(週刊サッカーマガジン2002年6月22日号)

↑ このページの先頭に戻る