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蹴鞠の歴史に、両国のつながりを見る

決勝トーナメントと16強

 一次リーグ(第1ラウンド)でフランス、アルゼンチンが敗退するという、驚きの連続の大会となりました。一方、開催国の両国は、ともに1勝1分けで、日本は6月14日のH組最終戦でチュニジアと、韓国も同じ日にD組最終戦でポルトガルと対戦します。この号が発売されるころには結果は出ていますが、両国が揃って第2ラウンドに進出することを祈っています。
 連載第3回目に入る前にひと言。日本のH組リーグ突破に近づいてから、例の「決勝トーナメント」の大合唱や「決勝T進出…」の大見出しがテレビや新聞に散乱して、聞くたびに、見るたびに、砂をかむような思いにかられます。
 テレビのアナウンサーのなかには、「韓国では決勝トーナメントのことを“16強”と言っているのです」と不思議そうに紹介している人もあります。同じ開催国なのに、なぜ表現が異なるのかを調べてほしいものですが、考えてみれば「決勝トーナメント」という誤った表現が、日本中に広まってしまっているのも、これを正しいものに変えようとする努力がなかったのは、日本協会や、私たち古くからサッカーに関わってきた者の責任であったと、言わなければなりません。
 トーナメント論、トーナメントという言葉の意味については、すでに何度も、この雑誌で触れてきたので、ここで述べるのは控え、FCJAPAN(http://www.fcjapan.co,jp/)というインターネットのホームページを見ていただいて、それについての多くのご意見を聞かせてほしいと思います。
 公式には第2ラウンド、入場券にも決勝トーナメントの文字のないことをもう一度、申し上げておきましょう。

ジキ・ジャキとおじゃみ

 さて、連載第3回は、大会直前のソウルで、古い形のフットボールに思いをめぐらせるお話。30日付けの『KOREAN TIMES』という英字新聞に、「古い韓国のフットボール」と題した記事が載っていた。いま、手もとにその切抜きがないので、詳細は語れないが、中国の漢や庸の時代の蹴鞠(けまり)にふれ、韓国には古くから松の実(ソルバンウル)を蹴って、いまでいうボールリフティングを競った「ジキ・ジャキ」という遊びのあったことも記していた。
 このジキ・ジャキのボールとなる松の実だが、神戸の南京町ではむかし、銭を何枚か重ね、その穴に鳥の羽を通して、蹴り上げる中国伝承の遊びがあった。いわば、バトミントンのシャトル・コックのようなものなのだが、それにならったのが、神戸の「おじゃみ」で、私の子供のころは、小さな袋に小豆(アズキ)を入れ、足で蹴り上げて回数を競ったものだ。
 これは日本では、どうやら神戸だけの遊戯らしいが、中国、韓国、日本で、それぞれボールリフティングに似た遊びが、ごく最近まであった。東南アジアのタイやマレーシアで籐のボールをリフティングするのも、そのバリエーションなのだろう。

日本と韓国の蹴鞠

 ボールを蹴り上げて、落とさぬ回数を競ったのは、日本に残っている蹴鞠が知られているが、この平安時代のものより、さらに古い時代のものを勉強しようと、奈良で「万葉けまり」を考案したことは、前回でふれた。
 この中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と藤原鎌足(ふじわらのかまたり)の物語は、日本書紀に記述されている。大戦前の歴史の教科書にあった「蹴鞠の際に皇子のクツが脱げたのを、鎌足が拾ってお渡しする」挿し画は、私たち75歳以上の者にはなじみだが、実は、この蹴鞠を仲介として、英明な君主と有能な補佐役となる臣が出会う話と同形のものが、古い韓国の歴史書「三国遺事」「三国記」にも記述があるという。
 こちらの方は王様が蹴鞠をした際に、衣服がほころびて、それを見たある婦人が繕ってさしあげたことが縁となって、王妃となり、彼女の兄と王とが、後に立派な政治を行うようになる。
 「三国遺事」という書物の巻一・太宗春秋の頃に掲載されているとのこと。ここでは、ごく概略を記すだけにしておき、機会を見て、書き加えたいが、ともかく同じころ(日本書紀の方が少し早いようだ)に作られた歴史書に、同じ類の蹴鞠の話が載っているところに、韓国と日本の交流の長さ、そしてフットボールの付き合いの古さを知ることができる。2002年ワールドカップの共催もまた、当然のことであったかもしれない。

(週刊サッカーマガジン2002年6月29日号)

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