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ロナウドのゴールとストライカーの守備力

 2002年のワールドカップではブラジルの5度目の優勝で終わったが、これから、大会を自分の足で歩き、自分の目で見たものを紹介しつつ、皆さんとともに反すうし、楽しんでいきたいと思う。
「世界一蹴=vは、8th travel、ワールドカップKOREA/JAPAN02にて、本誌6月15日号に始まり、22日号、29日号、7月6日号、13日号とすでに5回を重ねている。
 これまでは韓国と日本の古くからの交流、私と私の周辺のサッカーでのかかわりを語ってきた。
 今回からいよいよいま≠フ話に入るが、まずはフィナーレを飾った得点王、ロナウドの話をする。

4年前、天と地のロナウド
 
 6月30日の横浜国際、表彰式でメダルを授与されて、ワールドトロフィーをてにしたカフーとともに喜び合うカナリア軍団のなかで、ロナウドがクローズアップされた。リバウドとともにトロフィーにキスをするアップの画像を見たときに、心のなかで「よかったね」と声をかけたものだ。
 1998年のフランス・ワールドカップの直前は、テレビも新聞も、雑誌も、それもお堅いのからイエローペーパーまで、あらゆるメディアにロナウドの話が載らないものはなかった。なにしろ『ザ・タイムス』までロナウドの特集を組んでいたのだから。
 ロナウド・ルイス・ナザーリオ・ダ・リマ。1976年6月22日生まれ。当時21歳のストライカーは、94年ワールドカップのブラジル代表に選ばれ(出場はなし)、ヨーロッパに移ってPSVアイントホーフェン(オランダ)、バルセロナ(スペイン)、インテル(イタリア)とチームを変えるごとにその評価を高め、FIFAが選ぶ最優秀選手にも、2年連続して選ばれていた。
 そして大会中も完調とは見えなかったが、チームの攻撃の主力として働き、決勝まで勝ち上がった。
 その進出の過程にも、彼の見事なゴール、なるほど、これがロナウドのシュートかとヒザをたたきたくなるゴールもあって、最終戦のフランスとの決勝での活躍に期待を抱いたのだが――。
4年間の苦労と忍耐

 その決勝戦の前日、深夜から体調を崩してしまい、試合には出たものの、まったく働くことができなかった。そしてチーム全体の士気も低下してあっさりフランスに敗れてしまったのだった。
 それから4年間2度にわたってヒザの手術をしたこの天才の復活を信じる人は、世界でもまれだったことだろう。私のように、ヒザを痛めれば選手生命は「まずダメ」という固定観念のあるものにとっては、なおさらだった。
 それが今回、生まれ変わってきたこのプレーヤーの特徴は、まず、そのしっかりとした肩、腰、足――大きくはないががっしりした体と、信じられない速さで走る力、そして抜群のスキル。それがよみがえったのだ。現代医学の素晴らしさとともに、彼の努力、特に大スターゆえに浴びせられる容赦ない批判を想像すると、その間の忍耐は、どれほどだったろうと思う。

奪い、飛び出したゴール

 ドイツとの決勝は、カーンを最後方に持つその組織的な攻守と、ブラジルの個人技の対決――との予想だった。そして、ブラジルを代表するロナウドとリバウドとの二人による後半の1点目が、ドイツの希望を砕いたのだ。このとき、まず発揮されたのが、ロナウドの防御力(相手のボールを奪う力)であったことが面白いところだ。
 いったん、自分が取られたボールを、その次にパスを受けたドイツのハマンから奪い返して、その直後に前を向き、ディフェンスと向かい合い、小さくボールを動かして(ドリブル、あるいはキープからシュートの気配を見せ)けん制した後、左のリバウドにパスをした。リバウドの強シュートを名GKカーンがファンブルしたとき、その予測をしたロナウドが走りこんでゴール右下へ蹴りこんだのだった。
 98年大会の対モロッコ戦で、私はロナウドが離れたポジションのライン際にいたディフェンスのトラップミスをかぎつけ≠ト、疾走してボールを奪い、ドリブルをしてベベットにパスを出してゴールを生み出したのを見た。その彼の攻∞守≠フ復活の兆しが、この大会の決勝の先制ゴールと言えた。彼にとっては4年がかりのワールドカップだった。
 そしてまた、今大会前に私が、厚い守りを破るための「キーワード」として考えていた「飛び出した」と「奪う」を、彼が締めくくりで演じてくれたことにも、一人、納得するのであった。 

(週刊サッカーマガジン2002年7月24日号)

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