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開幕試合、フランス代表の受難

バルデスに痛いミス?

「パペ・ブバ・ディオップがシュートしたボールは、バルデスが自分の手で押しやったんだよ」
 ハーフタイム、後ろに座っていたブライアン・グランビルが言う。
 セネガル1―0フランス。意外な45分間が終わっても、ソウルのワールドカップスタジアムの“どよめき”は消えなかった。会話の声も大きくなる。
「バルデスもそうだが、ナンバー11のディウフが早いドリブルをしたときに、その誘いに乗ったのもルブフの失敗。飛び込んで一気にかわされたからね」と私――。
 2002年のワールドカップ KOREA/JAPANの開幕試合は、チャンピオンにとって、難しい展開となった。5月28日にソウルにやってきた私は、29日にインターナショナル・メディア・センターへ出かけ、半日をそこで過ごし、30日には午前中に思い出の鳥致院へ往復し、夜にグランビルと食事をした。大会の前に彼の著書「STORY OF THE WORLD CUP」の訳書「ワールドカップ ストーリー」(新紀元社刊 賀川浩監修)を出版したこともあり、その企画を担当していた木村裕文氏がぜひ会いたいというので、ソウルのセジョン・ホテルに彼を訪ね、韓国料理を楽しんだ。

欧州の過密日程

 彼の話はいつも面白いが、美しく攻撃的なフットボールを好む彼は、トップクラブもトップリーグもUEFAもFIFAもスポンサーやテレビ放映権料などによって莫大な利益を得るのはいいが、そのために試合数が増え続け、過密日程となり、プレーヤーの休む期間、負傷回復の期間がなくなることを懸念していた。
「5月15日のヨーロッパ・チャンピオンズ・リーグ決勝から、ワールドカップの開幕まで、2週間しかないのだからね」
 彼の話を聞きながら、80年代前半の西ドイツ代表監督だったユップ・デアバルが語っていた言葉を思い出した。クラブの日程が終わって欧州選手権まで2週間だと、代表を集めて1週間休養、次の1週間でフィジカルの練り直しをしたら、もう大会だ。せめて3週間あれば次の1週間でチーム戦術のコンセプトが確認できるのに――。ブラジルのように、2ヶ月なんてぜいたくは言わないが、まず4週間、最低3週間は欲しい。

セネガルのプレッシング

 フランス代表のラインアップは、GKバルテズ、DFリザラズ、ドゥサイイー、チュラン、ルブフ、MFビエラ、ジョルカエフ、プティ、FWビルトール、アンリ、トレゼゲと、98年と2000年に世界と欧州を制した顔ぶれだったが、ジダンが欠けていた。2週間前のチャンピオンズ・リーグ決勝でレアル・マドリードのエースとして、歴史に残るビューティフル・ゴールを決めて優勝した彼なのに…。
 中軸を欠くフランスに対してセネガルは、鋭い出足でボールを奪いにかかる。その積極的なプレッシングは、これがアフリカのチームかと目を疑うほどだが、イレブンのほとんどは、フランス・リーグに所属しているのだから当然とも言える。彼らの多くは、フランス育ち。フランスの各クラブは優秀な人材を得るために、かつての植民地にサッカー学校を持ち、いい素材を見いだすとフランスでサッカー修行をさせる。このチームは、いわばフランス・リーグのセナガル選抜ということになる。
 セネガルの前半30分の1点は、そのプレッシングから生まれた。ハーフウェー・ラインよりやや自陣寄りでボールを受けたジョルカエフに詰め寄ったダフがボールを奪うと、すぐ前方のディウフに送る。ディウフが左サイドを疾走しルブフをかわし、ゴールライン際から中へ入り、GKバルテズと向き合いながら中へボールを送る。
 そのボールにダッシュするパペ・ブバ・ディオップとそれを防ごうとプティーが併走する。そのプティーがスライディングして、足に当てたボールがバルテズに当たる。バルテズが倒れたまま、ボールを取ろうとしたが、なんとボールをつかまずに押しやってしまう。そこにプティと同じように倒れていたパペ・ブバ・ディオップの左足があった。地面に寝たままの彼の左足で蹴られたボールはゴールへ入った。
 このゴールのポイントは 1 まずジョエルカエフがボールを奪われたこと 2 そのボールがすぐにディエフに渡ったため、再三オフサイドにはまっていた彼が、オンサイドであったこと 3 ここからフランスの守りは落ち着きを失い 4 ルブフが飛び込んで外され 5 最後にはバルデスにも気の毒なミス?が出た。
「やられるときはミスが重なるものだ」。そんなことを言い合ったが、まだ私は、このゴールがフランスの第1ラウンド敗退に結びつくとは、思いもよらなかった。

(週刊サッカーマガジン2002年7月31日号)

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