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アルゼンチンに忍び寄る影

札幌―羽田―鹿島

 カシマスタジアムについたのが、午後1時過ぎだった。この日、札幌のホテルを出たのが朝6時過ぎだったから、ざっと7時間。日本は広いというべきか――。
 千歳空港から1時間半で羽田空港着が9時30分。モノレールで浜松町に着き、鹿島神宮までの「サポーターズ・パス」(3000円)を買う。6日、3日の2日間有効という。JRにも、こんなサービスがあると気をよくしたが、ついでに鹿島までの時間を尋ねると、「私は乗ったことがないから知りません」と、国鉄時代に戻ったような答えが返ってきたのには驚いた。
 そういえば、羽田空港の到着ロビーにも、ワールドカップのインフォメーションらしき表示は見当たらず、一般案内所で道順を尋ねたものだ。国立霞ヶ丘陸上競技場≠ヘあっても、ワールドカップの基準に合うスタジアムのない東京都だから、ソウル・ワールドカップ・スタジアムを新設した韓国の首都に比べて、この大会への気配りに欠けるのも、致し方ないのか―。
 午後2時30分、Fグループの第1戦、アルゼンチン対ナイジェリアが始まる。もう一つのイングランド対スウェーデン(午後6時30分 埼玉)も、いいカードだが、ここを選んだのは、やはりうわさの優勝候補アルゼンチンを早く見たかったから。大会前のフォーラムなどで、私も聞かれれば、「今度はアルゼンチンに優勝してほしい」と答えていた。
 それはフランスやブラジルが勝てば、日本では多人種チームの身体能力≠フ高さが論じられ、日本人との比較に及んで、日本にとって最も大切なテクニックの追求への意欲がそがれるだろう――。
 その点、アルゼンチンは、移民の国であってもほとんど欧州系、つまりアフリカ系はいないので、話はもっぱらボール・テクニックに向かってくれるだろうと思っていたからだ。

バティのヘディング・ゴール

 前半は0―0で終わった。右からオルテガ、バティストゥータ(バティ)、クラウディオ・ロペスと並べて、プレーメークにベロンを配したスターティング・リストは、98年フランス大会と同じ。見慣れたプレーには安定はあっても、いささか新鮮さに欠けた。
 そしてまた、第1戦で慎重になったためか、ベロンの前方への進出が少ないために、攻撃に変化が少ない上、ベロンにも、いくつかのパスミスが目立った。 
 ナイジェリアでは、彼らが1996年のアトランタ・オリンピックでオルテガたちのアルゼンチンを破って優勝したときのオコチャ、カヌ、ババヤロ、ウエストの4人が軸になっていた。セネガルほど組織化されてはいないが、オコチャのドリブルなどをきっかけにして、何人かの気持ちが一気に相手ゴールへ向かうのを見ていると、こちらまでウキウキしてくる。
 後半3分にカヌが負傷でイケディアと交代する。さり気ないボールタッチで攻撃に効いていた彼がいなくなると、アルゼンチンのベロンの進出回数が増えてくる。63分にそのベロンのこの日8本目のCKがファーポストに飛び、一番遠くにいたバティへのヘディングが先制ゴールとなったのだ。

アイマールとクレスポの切れ味

 1点を取り返そうと、前へ出てくるナイジェリアに対し、アルゼンチンはベロンに代えて若いアイマールを送り込む。彼の早い動きと球を離すタイミングの良さで、チャンスが生まれる。さらに、残り10分というところで、バティに代わってエルナン・クレスポが登場し、その切れ味のいい動きから立て続けにシュートが飛んだ。
 試合が終わると、メディアバスで成田空港へ。空港第2ビルから成田エクスプレス38号で東京駅着19時51分。一番町のダイヤモンドホテルに着いて、部屋のテレビをつけたら、埼玉の試合が終わるところだった。イングランド1―1スウェーデン。ベッカムのCKをキャンベルが頭で合わせてリードしたが、DFのミスからスウェーデンのアレクサンデションの同点ゴールが生まれた。
 アルゼンチンはナイジェリア相手に勝ち点3を挙げたから、まずまずのスタートだが、攻撃陣に切れ味がないのが気がかり。あとから出てきた二人の方がメリハリがあるが、ビエルサ監督は若手を使うのに慎重なのだろうか?
 何しろ、あのサビオラ(バルセロナ=スペイン)を代表に加えないくらいだから――。遅い食事をとりながら簡単なメモをつけ、あらためてお気に入りのサビオラをこの舞台で見られないのを不満に思った。明日はまた、札幌へと飛び、イタリアを見るのだ。

(週刊サッカーマガジン2002年8月28日号)

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