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イタリアの攻撃とディフェンス・ショー

おなじみのアズーリ

 肩を組んで歌っているビエリ、口をつぐんだままのマルディーニ、小柄なカンナバーロ、長身のネスタ、そしてトッティ…なじみのアズーリを見ながら、イタリア国歌の吹奏を聞くと、一昨日に続いて北の大地・札幌のドームでワールドカップに立ち会える幸いに、自然に顔がほころんでくる。
 6月3日、Gグループのイタリア対エクアドル戦のキックオフ直前のセレモニー、続いてのエクアドル国歌吹奏のとき、スタンドの一隅から歌声が沸き上がったのには、驚かされた。

コロンビア流? エクアドル

 南米の北西部、北にコロンビア、東と南はぺルーに挟まれ、西は大西洋に面したエクアドルは、日本の75パーセントほどの国土に1000万人が住む。南米のサッカーはアルゼンチン、ウルグアイのラプラタ流域に始まり、ブラジルを加えた3強がリードし、やがてチリ、パラグアイ、ペルーのレベルアップとなる。
 北部の国々が強くなるのは、1980年以降。コロンビアが1987年の南米選手権(コパ・アメリカ)で、バルデラマを中心とする攻撃陣とイギータという特異なGKを配した守りで3強を驚かせた。それ以来、しばらくワールドカップで注目されるようになった。
 そのコロンビアの強化に、力のあったマツラナ監督のもとでコーチ修行をし、98年のコロンビア代表監督を務めたエルナン・ダリオ・ゴメスが、エクアドルの監督となって南米予選を2位で突破した。
 アズーリの右に並んだ黄色のシャツ、紺のパンツを見ながら、かつてのコロンビアと同色(黄色が少し濃い目に見えた)であるのを思い出す。
 もともと、エクアドルはベネズエラとともに大コロンビアという国に属していたのが、のちに独立。その国旗も、黄、紺、赤のコロンビアと同色のものに、独特の紋章(アンデス山脈の国内最高峰チンボラソ山をあしらっている)を加えている。
 代表チームのウェアが似ているのもまた当然かも…。

トッティ、ビエリの先制点

 その新顔チームに対してイタリアは、激しいプレスをかけに出る。ビエリやトッティの追い込みのときの反則、相手の切り札である長身のデルカドに対するカンナバーロの空中戦は、アズーリたちの、この日の強い姿勢を示すものといえた。
 7分にイタリアが先制した。
 相手ボールを取った後、DFパヌッチが前方へボールを送る。右のオープンスペースにトッティが走っていた。彼が受けたとき、左にドーニが走り上がっていたが、トッティのパスは後方からダッシュしてきたビエリへ。注文通りのパスをビエリは外すことはなかった。
 DFの押し上げと第2列の巧みなポジショニングは、一人ひとりの粘っこい接触プレーとともに、中盤でのスペースを極めて狭くしてしまい、ボールをキープして攻めに出ようとするエクアドル側の仕事を難しくする。そして、奪ったボールを素早く前線へフィードし、ビエリ、トッティの自在のポジショニングを生かすと同時に、ザンブロッタ、ディビアジオ、トンマージ、ドーニの第2列のだれかが、すかさず飛び出す。その動きにつられて相手の守りに、さらにすき間が生じる。

攻から守、守から攻へ
 
 27分に2点目が生まれた。今度はカンナーバロがデカルドのボールを奪い、こぼれ球をディビアジオが一気に前方へ。ビエリが突破する。GKセバージョスの足にシュートをぶつけたが、リバウンドしてゴールへ押し込んだ。
 2得点とも、最後列からトップへ出たボール。これはネスタとカンナバーロの二人のCB、34歳のキャプテン、マルディーニ、29歳のパヌッチの左右のDFのラインが安定しているだけでなく、第2列の選手の追い込みによって、守備陣が余裕をもってボールを奪えたことも大きい。
 2―0のリードは、MF陣にもFWにもさらに余裕をもたらし、今度は長い一発のパスではなく、第2列とトップとの間の見事なパス交換での攻めを見せ、いいシュート場面を作った。前半はあっという間に終わってしまった。
 ザンブロッタやディアビジオたちが後方からボールを受けるときに見せるターンやステップにもイタリアのテクニックを見ることのできた楽しい45分間だった。
「勝負は決まりですね」
 ハーフタイムに仲間と語り合った通り、後半にスコアの追加はなかった。挽回を図るエクアドルの攻めを受けるイタリアの守りは、アズーリのサポーターから見れば、まことに楽しいショーに違いない。

(週刊サッカーマガジン2002年9月4日号)

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