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ビビンバの町でのスペインの強さ

韓国南部を走りながら

「フランスは、一次リーグで落ちるのですかね」
「Aグループは6日に試合でセネガルとデンマークが1―1で引き分けたから、ともに1勝1分け、フランスとウルグアイが1分け1敗です」
「第3戦でフランスがデンマークを破れば、1勝1分け1敗の同勝ち点、得失点差ということにになる」
「フランスは釜山では10人でたたかって苦しかったが、GKのバルデスがよく働いて、すごいシュートを止めて0―0で分けたから、わずかに望みをつないだ殊勲賞ですよ」
 6月7日の朝9時に釜山ロイヤルホテルの前を出発したバンは、観戦ツアーの仲間6人と通訳さんの7人を乗せて全州へ向かっていた。
 鉄道であれば釜山から京釜線で180キロの太田に行き、ここから70キロ南下するのが早いようだが、ミニバンとなるなるとルートはまったく違ってくる。所要時間はランチタイムも含めて6時間くらいという。独り旅なら、地図を片手に窓外の景色と地名を確かめるのが例だが、サッカー好きのワールドカップ・ツアーとなれば、話は次々に飛び出してきて、途切れることはない。
 釜山から西方270キロの光州あたりで道路は北に向かい、100キロ少々、幹線道路から東に少し外れると、全州があった。 

テーマがビビンバ

 趣向をこらした韓国の開催都市のワールドカップのポスターの中で、全州のそれは、古い建物をバックにビビンバのアップが載っていて異彩を放っている。そのビビンバの本場の町での宿は「全州ルネサンスホテル」と立派な名前のラブホテルだったのには驚いたが、寝るところがあり、試合を見ることができればよい。
 午後6時キックオフのBグループ、スペイン対パラグアイの会場「全州ワールドカップスタジアム」は、韓国随一の米どころの平野部に立っていた。正面入り口の前の道路の立派なこと、周辺を広くとっていることは、今度の韓国の各会場の共通点だが、スタジアムのデザインが町によって違っているのもうれしい。
 1988年のソウル・オリンピックのときは、サッカーの各会場は地方都市へ行っても、どれも同じデザインだったので、欧州の記者たちは不思議に思っていたという。
 もともと地域意識の強いこの国で、経済の大発展とともに、それぞれの土地の歴史を思い、その特徴を見つめ直すのに、このワールドカップがいい刺激になったともいえる。日本も各地で古きを振り返る傾向も出てきている。日韓がそれぞれ遠い昔を見れば、その古い時代からの関係をより深く知ることになるだろう。

スペインの安定、ラウルの充実

「Bグループはまずスペインのトップは固い」――という開幕前の予想は当たっていた。第1戦でスベロニアを3―1で破った彼らは、この日の対パラグアイ戦も3―1で勝った。10分、GKがパンチしたボールがプジョルの足に当たる不運なオウン・ゴールで0―1とリードされたが、後半のモリエンテスの投入から、一気に調子を上げ、53分にデペドロのCKをヘディングで決めて同点とした。
 彼はその16分後にも、デペドロのクロスから2点目を奪ってしまう。3点目はあと7分というところでPK、ラウルに対する反則で、例によってイエロが決めた。
 パラグアイはGKチラベルトが出場停止処分がとけての今大会初出場。FKの見せ場もつくったが、2点目はクロスを取り損ねた。スペインでは、ラウルが円熟味を感じさせ、各ポジションの選手たちもしっかり役柄をこなし、パラグアイとの間には力の差、技術の差があった。

ベッカムのPKをテレビで

 1950年代のレアル・マドリードに代表されるクラブチームの戦跡に比べて、代表チームのワールドカップは振るわなかった。98年も評判倒れに終わったが、今度は優勝、とまではいかなくとも、安定した力を持つ。右のプジョル、左のデペドロたちの攻め上がりやクロスもいいし、ゴール前には役者がいる――と、試合の後は、すっかり元気になった古い友人に会えたような気分だった。
 ラブホテルは夕食がないので、仲間で揃ってレストランで焼肉とビビンバのパーティー、それもテレビでイングランド対アルゼンチン戦を見ながらという、ぜいたく極まりないものになった。ベッカムのPKが唯一のゴールとなったが、彼ほどのコントロールキックの名手が、サイドネットではなく、GKカバジェロのリーチの範囲へ、強く速くシュートした。
 彼のこの試合への思いがこもっていたのだろうが、その近くを通るシュートを、GKが取れないのだから、サッカーは不思議なものだ。

(週刊サッカーマガジン2002年11月6日号)

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