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激闘のロシア戦 稲本のゴールで大きなステップ

つぶし合いの前半

 6月9日、午後の8時30分、ジャパン・ブルー一色の横浜国際競技場でH組第2戦はロシアのキックオフで始まった。
 日本は第1戦対ベルギーで後半途中に森岡に代わった宮本が初めからセントラルDFに入り、右サイドは市川でなく明神が出場した。
 日本が例によって柳沢、鈴木のトップからプレスをかけて中盤でボールを奪おうとする。ロシアは前のチュニジア戦よりも中盤からかなり早くボールに詰めてきたから、前半はつぶし合い≠ェ多くなる。
 4分に稲本が奪ってドリブルシュート、右へ外れたが、チームに勢いをつけ、次いで鈴木が左から持ち込んでスタンドを沸かせた。
 モストボイのいないロシアは右サイドのカルピンのキープと突破が大きな武器。彼に食い込まれては危険だと、小野、中田浩二、ときに稲本、前では鈴木がそのボールを奪いに行く。相手も中田英寿へのマークを強くした。20分ごろまでに彼は4回のファウルを受けた。
 前半の45分が終わって日本のシュートは4本、ロシアも4本。
 ロシア側には、日本のバックパス(ボールが弱いのが多い)を狙ったり、パスのスペースがないと高いボールを上げるなど、日本に対する嫌がらせ≠ヘあっても、ロマンツェフ監督の得意なパス攻撃は後半のお楽しみというところか――。
 日本の誇る速いパス攻撃が効果を出すには、いま少し時間が必要。これも互いの動きに谷間ができるセカンドハーフに持ち越すことになる。
 
中田浩―柳沢―稲本

 51分、稲本のゴールが生まれた。左の中田浩二から中央の柳沢へ長い強いパスが届き、柳沢がすぐ左の稲本へパスを送った。ノーマークの稲本は足の下に入って止まったボールを、落ち着いて右足で、ゴール右上へ蹴り込んだ。のちに「一瞬、オフサイドかと思って、それがかえって落ち着いて蹴れたのかもしれない」と言った。足元にある難しいボールを、GKの手の届かない位置に送り込んだところが立派だが、このプレーヤーの気性の強さとおおらかな性格が、こういう場合に生きてくるのかもしれない。
 それにしても中田浩二の、得意の角度に入ったときのキックは誠に素晴らしいし、柳沢のパスのタイミングも、ボールの強さっと合わせてパーフェクトなお膳立てだった。
 もちろんこれには、中田英寿がこの日は、自分はやや引き気味にして相手のマークを引き連れ、もっぱら左右のバランスを取るパスを出していたことが、稲本たちの突進のスペースとタイミングを生むことになったのも見逃せないだろう。

追加点は奪えなかったが…

 元気づいた日本と挽回を図るロシアの、それからの40分は壮絶なものとなった。ロシアの11本のシュートが飛び(うち4本が枠内へ)、スタンドから悲鳴が上がった。
 互いの攻防で動きが大きくなればスペースが生まれ、そこに日本のパスとランのチャンスが生まれる。
 59分からの約10分間は、日本の動きの早さにロシア側が後手に回り、2点目への期待が高まった。中田英寿のFKはバーを超え、ドリブルシュートはバーをたたいて外れた。これは、この日の中田英寿の一番良いシュート。(おそらく)八分の力で蹴った右足のスイングと、全身のフォームが誠に美しく、取らせたいゴールだった。
 惜しいといえば、柳沢のエリア左角から内へ入ったところでのボレーシュート。素晴らしい動きと胸のトラップの後だっただけに、これを決めておけば、彼自身の心の勲章になったのに――。
 追加点は奪えなかったが、GK楢崎とセントラルDF宮本を軸とするディフェンスと、それを助ける全員防御で無失点で切り抜けた。ラインの上げ下げに気を使って対人防御に手抜かった、第1戦の失敗を繰り返さない宮本の強い気持ち。ジャンプ・ヘッドの競り合いでも、1対1の駆け引きでも、常に相手に負けぬ気迫が出ていた。
 高いボールを前で取ろうとするときの彼の勢いは、そのままディフェンス全員の積極的な姿勢となっていた(のちに聞いたところでは、ドイツの新聞では、この日の殊勲の第一に宮本を挙げ、その顔のマスクから「怪傑ゾロ(ZORRO)」になぞらえたという)。
 ロシア・サッカー、40年前のソ連サッカーは、日本にとって師匠格であった。東京、メキシコでの2度のオリンピック代表の強化には、ソ連との交流は欠かせないプランの一つであった。
 幸運もあったにせよ、かつての師匠格を相手に挙げたひのき舞台での初勝利で、日本サッカーは国中を喜ばせた。
 
(週刊サッカーマガジン2002年12月18日号)

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