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対チュニジア2―0モリシ本領発揮のゴール

守りの厚いチュニジア

 満ち足りた気分だった。
 2002年6月14日、午後3時30分開始のHグループ第3戦。チュニジア戦は2―0で日本が勝った。
 しかも勝ちを呼び込む先制ゴールがモリシ・森島寛晃だったから、また格別である。
 長居から大阪駅に向かうプレスバスの中で、試合の流れを振り返る。日本のラインアップはロシア戦と同じ。DFは松田、宮本、中田(浩)、戸田と稲本、そして明神、中田(英)、小野のMF、柳沢、鈴木の2トップだった。
 1勝1分けの日本と、1分け1敗のチュニジア。同時刻に静岡でたたかうベルギー(2分け)対ロシア(1勝1敗)との関係からいけば、日本は引き分けでよく、チュニジアはまず勝たなければ望みがない――。
 このような状況だが、そのチュニジアがまずは守りを厚くしてカウンターという、これまでのやり方できたから、前半はそれほど華々しい打ち合いにはならない。もちろん攻撃好きの日本だし、先に点を取れば一気に有利になるのだから、いい攻めを見せるが、1トップにして、DF4人、MF5人のチュニジアの中央部の守りは堅い。
 それでも、チュニジア側に疲れの見え始めた25分ごろから、立て続けに日本の攻め込みがあり、期待の稲本の飛び出しと侵入もあったが、シュートまでにはいかない。34分に柳沢の反転シュートがあったが、GKに防がれてしまい、37分、GKの後の中田浩のシュートも外れた。

後半の交代策

 そんな手詰まり≠フ状態を打開しようと、日本は後半の初めから、柳沢を森島に、稲本を市川に代えた。市川の右サイドからの攻めと森島の飛び出しを期待したのだろう。明神を右から中央へディフェンシブな配置にした。
 48分に、そのモリシのゴールが生まれたのだから、トルシエ監督としては、ずいぶん気持ちがよかったはずだ。ただし、このゴールの50パーセントは、相手のDFのミスから。右サイドで攻め込もうとした市川へのファウルでFKとなり、そこから鈴木―中田英と渡って中田英が右外の鈴木へ出したボールをDFが止めはしたが、コントロールできず、ボールはエリア内へ転がりこんだ。そこに、いつの間にか森島がいた。
 彼が走り込んで、キックへ入る体勢は、得意の右足で、得意の右足で、得意の右足で、得意の角度だった。思い切りの良いスイングでたたかれたボールは、左ポストいっぱいに飛び込んだ。
「試合では、大きなチャンスは必ずある。その一つは偶発的なもの。相手のミスであったり相手や味方に当たったボールであったりする。もう一つは、CK、FK、もう一つは自分たちで意図して組み立てたもの。この最低3回を物にすれば、3点取れる」というのが、私の旧制中学の4年生のころからの考え。
 1966年ワールドカップの決勝で、イングランドDFのヘディングがドイツFWの前へ落ちたのを見たときにも、やっぱりと思ったが、日本のワールドカップの大事な試合で、こちら側にその幸運が転がってくるとは…。

偶発的なチャンスへの反応

 といっても、モリシの勲章の値打ちが下がるわけではない。こういう突然のチャンスに、ノーマークシュートになると、誰もがしめたと思いはするが、案外、得点にはならないことを、プレーヤーも数多くの試合を見た人も知っている。
 それを自分の角度≠ニは言いながら、この大舞台で交代してピッチに入って3分のことだから、慣れた大阪のゴール(目標)ということもあったにしても、たいしたものだ。
 ミスからの失点で混乱した守りを今度は日本が組み立てて攻め込む。鈴木がつぶれて市川にボールを出し、市川が右から送った低いクロスをモリシがまたノーマークでダイビングするような形でヘディングした。しかし、今度はポストに当たって得点にはならなかった。
 モリシの動きをつかみ損ねたチュニジアの守備陣の間で、互いに言い合っていたが、危険なスペースに入ってくる彼の動きは、言葉で知らされていても、プレーしてみなければつかみにくいものだ。このヘディングが入っていれば、モリシ・デーになっていたのに――。この日の彼は、守備でも少しだが、いいところを見せていた。
 すっかり日本ペースになった試合は、75分の中田英の迫力満点の飛び込みヘディングで2―0とした。クロスは市川がドリブルして十分に狙ったものだった。
 バスを降りながら、これでトルシエがモリシを再認識してくれればいいが、と思ったものだ。

(週刊サッカーマガジン2003年3月19日号)

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