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ポルトガルを追い落とした朴智星のゴール

標語も、用語も

 アジア初のワールドカップを、それも日韓共催で行う――という大事業の後、Jリーグはいよいよ11年目のシーズンに入る。
 JFAの川淵三郎キャプテンが、協会の指針を掲げ、大仕事をした後にも、なお前進の姿勢を示しているのは、まことにうれしいことだ。そしてまた、10年間のJリーグの実績の上に立って、リーグそのものの運営の見直しが始まっているところも良い。
 来年の2004年は、東京オリンピックの開催から40年になる。あの東京大会の後、多くのスポーツ関係者は、長年の夢を実現して、しばらく空白状態にあった。
 そのなかで、サッカーが日本サッカーリーグの創設、少年層への働きかけをスタートさせたのが、今日への一歩となったことを忘れてはなるまい。同時に、40年かかって、ようやくここまできた年月の長さと、その間の失敗と成功にも思いを深めていきたい。
 新しいシーズンを迎えるJ1、J2各チームの標語大賞という面白い記事が3月26日号にあったが、28クラブのうち17クラブが、ローマ字の標語だった。こういう時代だから、おかしいと思わないし、古い言葉でいう「横文字」で頭をひねるというのも悪くはない。
 しかし、英語やポルトガル語で今年のスローガンを考えるようになっているのはいいが、そうしたサッカーの専門家たちが、相変わらず「決勝トーナメント」や「スパイクシューズ」というFIFAの用語にない言葉を語ったり、書いたりしているのは、いかがなものか――。
 Jリーグの活動方針の第一は、「フェアで魅力的な試合を行うことで、地域の人々に夢と楽しみを提供します」とある。フェアというのは、まず競技規則を守ることだろう。ピッチの上のプレーと同様に、言葉もまた大切だと思う。

アジア2国の第2R進出

 さて、2002年のワールドカップの話は、1次リーグのHグループで日本がチュニジアを破って第2ラウンドに進んだところだ。
 ヨーロッパが9、南米が2、北中米が2、アフリカ1、アジアが2。2002年6月15日の朝、芦屋の自宅で飛び歩いていた間の新聞を整理しながら、あらためて第2ラウンドへ進出した16カ国を考えていた。
 それらの16カ国によるノックアウト・システムの1回戦が、この日、韓国の西帰浦と新潟で予定されていた。しかし私は、この日と次の日には取材に出かけることをやめ、休むことにした。
 左下腹部に鼠径(そけい)ヘルニアの兆候が出ていて、ドクターに診てもらうこともあったし、第2ラウンドの日本の試合に入る前に、ここまでの大会を振り返っておきたいこともあった。
 2日後の6月17日、神戸でブラジル―ベルギーの試合当日の午後に、六甲アイランドの美術館ホールで、デットマール・クラマーとトークショーをすることにしていた。ワールドカップについて、大コーチの意見を一般の人にも聞いてもらうこと、同時に奈良で始めた万葉蹴鞠≠フ実演を、同ホールで披露する予定も組んでいた。それらが重なって休みだった。

J2で磨いた腕

 ワールドカップ第1ラウンドの各グループリーグの後に、16カ国が第2ラウンドへ進むようになったのは、1986年のメキシコ大会から。以来4回を大陸別に見ると、ヨーロッパはすべて10チームの進出、南米が2―4、アフリカはずっと1、北中米も1〜2、アジアは1994年のサウジアラビアただ1国だけ。
 数の点では、欧州が圧倒的に多い。それが今回は、9チームと一つ少なくなった。敗退したチームのなかにフランスやポルトガルがある。
 そのポルトガルを阻んだのが韓国だが、直接的には第3戦70分の朴智星(パク・チソン)のゴールだった。27分にジョアン・ピントが退場処分となり、10人となったポルトガルは、0―0で引き分ければ、16強に残れたのだが…。
 朴智星のシュートは、左から回ってきたボールを、ゴール近くで浮かせてDFをかわして蹴った見事なもの。
 京都サンガでの彼は、2001年はJ2でプレーした。激しいが技術的に彼の方が優位に立てるこのリーグで、積み重ねたものに、ヒディンクの合同練習がこうした成果を生んだと言えるだろう。
 J2がポルトガルを追いやったといえば大げさだ。しかし、サッカーは自分より高いレベルでのプレーを望むのもよいが、与えられた環境のなかで、腕を磨くこともできることを、朴智星の大舞台でのシュートが証明している。

(週刊サッカーマガジン2003年4月2日号)

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