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勝利を信じた側が制す――クラマーのトークショー
ドイツ代表と労働の自由
――あなたの国ドイツは、大会前の評判は高くはなかったが、札幌でサウジアラビアに大勝(8―0)し、茨城ではアイルランドに引き分けた(1―1)が、静岡でカメルーンに2―0で快勝した。16強のノックアウト・システムに入っても、1回戦でパラグアイを破り、ベスト8に進んでいる。
クラマー「ドイツ代表の力がしばらく落ちたのは、理由がある。ヨーロッパの統合が進んでEU(ヨーロッパ連合)の域内は、労働が自由になり、これがサッカーにも適用されて、これまであった各クラブの外国人選手登録制限が撤廃されてしまった。
そのためにドイツのクラブでありながら、ピッチに送り出す選手はドイツ人でない方が多い――といったクラブが増えた。
バイエルン・ミュンヘンのようなビッグクラブでも、あるときは8人が外国籍だったこともある。これではせっかく優れた育成制度を持っていたとしても、ドイツ人選手が18歳になってもリーグでプレーできなければ、ドイツ代表のレベルは低くなるわけだ。
こうした大きな問題が背景にあったが、ドイツ協会は再び、代表強化に力を入れるようになった。まだ満足とは言えないけれど、少しは良くなった」
1995年に欧州裁判所がボスマン訴訟で「選手との契約期間が過ぎれば、クラブには保有権はない」との判決を出し、さらにEU域内での「労働の自由」が、それまでの欧州サッカー界に大きな影響を与えた。
しかし、東西合併後に経済力が低下したドイツは、北欧、東欧というプレーヤーの供給源を控えているだけに、安い労働力≠フ大量流入があったのだ。
2年前にこのことを話し合ったときに、彼はプロのスポーツ選手は労働者≠ナはなく芸術家≠ネのだから、EUの考え方には承服できないところがある、と言っていた。
そして2002年の欧州選手権の不成績は、ドイツ協会の指導力にも問題があり、彼の愛弟子でもあるベッケンバウアーが副会長に就任したことに期待していた。
マイヤーとカーン
――まあ、ベッケンバウアーやゲルト・ミュラー、オベラート、フォクツたち、74年優勝メンバーが育ったころから、協会のコーチであったクラマーから見れば、いまは物足りないだろう。それでもカーンのようなGKや滞空時間の長いクローゼ、タフなバラックなどが現れた。
クラマー「まあ、ここまでの試合の結果は、よくやったと言える。ただし、カルメーン戦の前半などは、ドイツらしい試合とは言えなかった。後半に盛り返したけれど、彼らに大切なのは、結果に満足しないでさらにレベルアップを目指す姿勢ということ。
カーンというゴールキーパーは、とても負けず嫌いで、それを74年の優勝キーパーのマイヤーがマンツーマンで指導した。彼は常にベターを心がけてここまで来た」
――今度の代表選手は、若い選手が多い。それだけに希望もあるが、一方では不安もある。
全力を出した68年代表
クラマー「1968年のメキシコ・オリンピックで日本代表が銅メダルを獲得したときのこと。3位決定戦のメキシコ戦が終わり、表彰式を済ませた選手たちが選手村に帰ると、彼らはバスを降りるなり、ベッドに倒れ込んでそのまま眠り込んでしまった。完全に試合で力を使い果たしたのだった。
一人の選手、あるいは何人かがこういう状態になったのを知っているが、チーム全員が全力を費やして戦ったのを見たのは、その後の私のコーチとしての経験の中でもなかった。こういう選手たちをコーチできたことを、私は本当に誇りに思っている。
バイエルン・ミュンヘンの監督として、欧州チャンピオンズ・リーグで優勝したときに、生涯最高の勝利かとの記者たちの質問に、それは1968年の日本の銅メダルだと、私が答えたのは、このことが理由の一つなのだ」
――日本代表に次のトルコ戦も全力を出しきれと?
クラマー「勝つか、負けるかは、どちらが勝とう≠ニいう気持ちが強いかで決まる。戦術や技術が大切なのは言うまでもない。しかし、私は基本的に心情が大きく左右すると考えてる。自分が勝つ≠ニ信じているチームが、明日の試合を制するでしょう」
6月17日、神戸・六甲アイランドの神戸市美術館でのトークショーで、私は77歳の指導者の話を聞きながら、もっと多くの人に、彼が語る場を設けたいと思うのだった。
(週刊サッカーマガジン2003年4月29日号)