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ワールドカップ1周年〜番外編〜

日韓戦のシュート数

 “ワールドカップ開催1周年事業”などという看板を見ると、あらためて1年が過ぎたのだなと思う。私の“2002年の旅”の連載(隔週)は、30回を重ねて、ようやく大会の後半部に入ったところ。6月10日号(No.925)で、日本がトルコに敗れ「16強で止まった日」のことを記している。
 その6月10日号51ページの最初の小見出しは、“前半のシュートは2本”と、攻め込みながらシュートの本数の少ないことを表している。それと同じように、5月31日に東京・国立競技場で行なわれた日韓戦においても、日本のシュート数が少ないことが取り上げられた。
 4月16日のソウルでの韓国戦(晴天、気温17度)では、90分間に日本のシュートが5本、韓国は14本。国立(雨、気温23・3度)では、日本は2本、韓国は15本。ソウルでは永井雄一郎の幸運なシュートで1−0で勝ち、東京では0−1で敗れている。
 シュート(SHOOT=鉄を打つ、矢を射る)という言葉については、この雑誌の別のページの「蹴Q英語」で、木ノ原久美先生に教えていただくとして、どんな優れた火砲(近ごろではミサイルの方が分かりやすい?)でも、発射しなければ当たらない。サッカーのシュートも数が多ければいいというものではないが、まずゴールに向かって蹴る(ヘディング)ことが、第一であるのは言うまでもない。

基礎技術アップとジーコ

 韓国戦の直後に、日本代表の練習メニューに、シュートが取り入れられ、かなりの時間を使ったと報道された。ジーコ監督とすれば、シュートレンジへ入ったら、まずシュートを狙う意識を植え付け、そしてシュートに自信を持たせることが必要だと考えたのだろう。
 こういうものは、一種の癖であり、慣れであるから、ゴールに向かって蹴っている回数が多ければ多いほど、技術が身に付くことは、サッカーの長い歴史の中で、多くのプレーヤー
が言記してきたこと。
 個々の素質によって、たとえばいまもそのシュートのうまさで語られる釜本邦茂が、100本蹴るのと、若いときの僕が100本蹴るのとでは、同じ本数でも上達の度合いに差が出るのは当然である。しかし、下手な僕であっても、熱心に100本を蹴れば、50本よりは成果が上がるもの――キックの上達は、蹴った回数に比例する――なのだ。
 ワールドカップの16強という足場を築いたはずの日本のフル代表に、あらためてシュート練習を課すといえば、一見、日本サッカーの進歩を疑いたくもなるだろう。
 しかし、私はむしろジーコが、ポールを止める、運ぶ、蹴るといった基本の大切さを、代表という最も象徴的なチームと選手を通じて、日本サッカー全体に語りかけ、反復練習を促しているのだと思えば、これもまたワールドカップ1年後の成果の一つといえると思う。

C大阪とパルマの若手

 もちろん、対韓国の2試合は、中田英寿が代表に加わっていないという条件もあった。小野伸二や中村俊輔がいれば、また違った展開になったかもしれないが、2試合の流れは、これまでの日韓戦とあまり変わっていない。朝鮮半島が日本の中にあって、日本選手権や神宮大会、あるいは全国中学校選手権(現・高校選手権)といった全国大会に朝鮮地方の
代表チームが参加していた戦前から見ても、その試合のスタイルがほとんど変わっていないのに驚くほどだ。
 今度の2試合のうち、韓国側はソウルで、つまりホームでは固くなって、多くのチャンスにゴールを決められなかった。しかし、アウェーの東京では、充実した気力が表れていて、望み通りの試合で勝ったのも面白かった。また、コエリョ監督が日本との戦い方(独特の対日意識を含めて)をつかんだように見えた。
 1周年記念事業の一つに、大阪・長居でC大阪対パルマの親善試合があった。中田英寿とパルマを見ようと、4万5000人が集まった。親善試合らしく、中盤ではプレッシングもなく、2−2のゴールの応酬を楽しんだ。また、C大阪側が一様にドリブルを仕掛けていくことがうれしくもあった。ただし、そのほとんどがスピード一本で、すでに緩急を持つパルマ側と違うのが、気になるところだったのだが…。
 大会から1年。ワールドカップを大きなステップに、日本のサッカーは量の拡大とともに、質の側にも変化のきざしが表れているとみたい。

(週刊サッカーダイジェスト2003年6月24日号)

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