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韓国−イタリア ターニング・ポイントの選手交代

赤一色の大田スタジアム
 大田のスタジアムは赤一色だった。“この熱気が韓国イレプンを支えたのだな”と思う。
 2002年6月19日、日本代表がトルコに敗れた翌日、わたしは自宅で前日の、もう一つのワールドカップ第2ラウンド1回戦、韓国−イタリアの録画を見ていた。
 すでに、ベスト8は決まっていた。6月15日に西帰浦でチラベルトのバラグアイがドイツに屈した。新潟では、好調だったデンマークが、自らのミスによってイングランドに0-3で敗れた。
 16日に大分でスウェーデンとセネガルが素晴らしい試合を演じて、スウェーデンが退いた。水原ではアイルランドがスペインにPK戦で涙をのんだ。
 次の17日には、全州でメキシコが去る。相手は米国。北中米でのナンバーワン、ワールドカップを2度開催したメキシコが、“サッカー不毛”の米国に敗れるとは、20年前に誰が考えただろうか。
 神戸ではブラジルがリバウドとロナウドの素晴らしいプレーでベルギーを退けた。そして、18日、二つの開催国が明暗を分けた。
 その韓国の試合では、もちろん、中継の映像も見たが、もう一度、確かめたいところがあった。

ピエリのヘッドの強さ

 イタリアのラインアップは、ビエリとデルピエロの二人のFWに、トッティを組み合わせてきた。
 ビエリの強さと速さ、デルピエロの巧みさと緩やかさ、それにトッティが絡む攻撃は、やはり韓国にとっての脅威だった。
 5分後に韓国にPKというビッグチャンスが舞い込む。CKのポジション取りのときに、パヌッチの目に余るホールディングにエクアドルのモレノ主審が笛を吹いた。
 しかし、安貞桓(アン・ジョンファン)の右足のインパクトは弱く、コースもGKブッフォンのリーチ内だった。
 イタリアの先制ゴールは、やはりクリスチャン・ビエリ。左CKからトッティのボールに合わせ、ニアに飛び込んでのヘディングだった。ヘディングの前に、マークする相手に肩をぶつけて有利な体勢にし、相手にシャツをつかまれながら、しっかりジャンプし、頭に当てた。

61分の選手交代

 0-1とリードされても、そして相手が“天下”のイタリアであっても、韓国のプレーヤーはひるむことはない。1対1の奪い合いの気迫も十分のうちに、前半が終わる。
 後半に入ると、韓国の動きの量が目立ち始め、イタリアはそれをがっちりと守る形となる。
 58分に朴智星(パク・チソン)が倒され、エリアすぐ近くのFKを得た。これはパスが合わずに、右に流れたボールを朴智星がスタート良く取ったのを、遅れたイタリア側のトリッピングになったもの。
 FKは得点にはならなかったが、このあたりに、韓国側の動きと積極的な姿勢が表れていた。
 61分にトラパットーニ監督はデルピエロを下げて、ガットウーゾを送り込んだ。
 その2分後、韓国のヒデインク監督はDF金泰映(キム・テヨン)に代えて、FW黄善洪(ファン・ソンフォン)を送り込んだ。
 イタリア側は、残り30分を守りきれると考えたのだろう。一方のヒディンクは、黄善洪を投入することで、チーム全体に、あくまで攻めにいくという」姿勢を示した。
 この試合のターニング・ポイントというべき61分、63分の両チームの選手交代だが、事態は88分まで、イタリア側の計算通りに進んだ。
 守りながら、ビエリやトッティのドリブルからの決定機があったし、韓国の反復攻撃を驚くほどの粘りと冷静さで防いだ。
 しかし、その守りに破綻が起きた。パヌッチがゴール正面で相手のパスを体に当て、そのボールが薛g鉉(ソル・ギヒョン)の前に落ちた。ベルギーのアンデルレヒトでプレーす
るストライカーは、これを逃さなかった。
 わたしが、もう一度見たかったのは、そのパヌッチが処理できなかったボールは、どこから来たのか、だった。
 それは、黄善洪が後方からのパスをさり気なく左足で、中央ゴール正面へダイレクトに送ったのだった。やっぱり黄善洪だったか――。
 延長でイタリアに勝ったこの試合の、一つの伏線を発見して、わたしはうなずいた。
(つづく)

(週刊サッカーマガジン2003年7月22日号)

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