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ブリュッセル・ヘイゼル事件の記憶

 リバプールといえば、1985年5月29日、ヨーロッパ・チャンピオンズ・カップ決勝がブリュッセルのヘイゼル・スタジアムで行なわれたとき、サポーターが相手のユベントス(イタリア)のファンと乱闘となり、その騒ぎのために39人のイタリア人が死亡するという事件を引き起こしたのは、あまりにも有名。前回はヘイゼル・スタジアムの壁の一部が倒壊したのも事故を大きくした原因だったが、今回は乱闘でもなんでもなく、ただ、試合を見たいと、後ろから押し込んだのがとんでもないアクシデントとなった。

 イングリッシュ・フーリガン(無法者)と呼ばれる一部ファンの暴走は、ヨーロッパではずいぶん前から問題になり、ベルギーでの事故を契機に欧州サッカー連盟(UEFA)は、イングランドの各クラブのヨーロッパ3大カップへの出場を禁止していた。
 この禁止処分の解除が、この4月にようやく決定した矢先にヒルズボロの悲劇が起こったのだった。


(サッカーダイジェスト 1989年「蹴球その国・人・歩」)

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