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U−22韓国代表と長身FW、長身DF(番外編)

185センチの曹宰榛

 先のキリンチャレンジカップ2003でのU−22代表の日韓戦で、韓国のFW曹宰榛(チョ・ジェジン)を見た。
 試合での彼は、@17分にハーフウェーラインでポストプレーで仲間にボールを流したあと、バランスを崩して倒れながら、すぐに追走して、エリア内右でラストパスを受けて、シュート(右ポスト外)A58分、FKのボールをヘディング(バーに当たる)B76分、日本ゴール左ポスト近くのもみ合いの中で、反転シュート(左ポスト外)――といったプレーを演じて、得点にはならなかったが、ストライカーとしての一端を見せた。
 韓国のFWでは、1950−60年代の崔貞敏(チェ・ジョンミン)、70年−80年代に西ドイツで活躍した車範根(チャ・ボンクン)、そしてC大阪や柏にいて、この2002年大会で重要な役割を果たした黄善洪(ファン・ソンフォン)という名が、私には親しい。
 U−22代表の曹宰榛は、こうした先輩たちに比べると、崔貞敏の速さや車範根の力強さには、まだ及ばぬとしても、ポール扱いの柔らかさ、右、左で蹴ることができるところ、そして長身(185センチ)を利してのヘディングといった基礎的なものから、相手を背にしてのポストプレーやそこからの反転シュート、あるいはパスといったトップの選手としての技術も魅力的だった。
 185センチ級といえば、日本代表FWでは188センチの高木琢也(たかぎ・たくや)以来、あまりお目にかかっていない。

横浜の中澤佑二

 ヨーロッパ人に比べて、一般的に体格の小さい日本ではプレーを技術やスピードの面で選んでいくと、なかなか大型選手がピックアップされない。特に、現代のようにU−12といった少年期からの選考を始めると、どうしてもそうなる傾向が強い。
 いまのU−22日本代表も上手な選手、サッカーをよく知っているプレーヤーは多いが、体格という点で韓国に見劣りした印象は強い。それは伝統的ではあるが、やはり意識的に大型プレーヤーを生み出すことを考える必要があるだろう。
 1968年のメキシコ・オリンピック銅メダルの要因の一つには、ストライカー釜本邦茂の存在があった。彼は182センチで、当時では海外のコーチからトール(長身)でシュートが巧いと評されていた。
 長身FWに対して、防ぐディフェンス陣の大型化も、世界では進んでいる。何年か前に、日本のオールタイム・ベストチームを選べと言われたとき、私はDFの中央に中澤佑二(横浜FM)を配したことがある。多くの人は、当時それほど上手でなかった彼を選んだことを不思議がったが、技術は練習すれば上手になるが、身長はそう簡単には伸びない。外国チームと戦って勝つには、このポジションにいまなら中澤(187センチ)程度の上背が欲しいと答えたものだ。
 その中澤は東京Xや日本代表では右のDFだったが、いまの横浜FMではセントラルDFとして、松田直樹(183センチ)とともに中央の壁となり、Jの優勝争いを戦っている。日本では、このポジションでも185センチ以上は少ないから、どうしても外国から持ってくることが多い。代表チームの国際試合ということを考えれば、国産の長身DFが、Jの各チームに一人ずつは欲しいところだ。

不得手な足のカバーと改修

 中澤はもともと右足でしかボールを蹴らなかった。東京Xや日本代表でも、右DFを務めたのも、中央では左足の不得手がはっきりするのとライン・コントロールの経験が浅かったこと、そして逆に右足のキックの強さを生かす、といったさまざまな条件からだったと思う。
 1980年代の西ドイツの右DFで、ときにはウイングのようにサイド攻撃をしたマンフレッド・カルツがいた。彼は代表でセントラルDFだったが、左足でまったく蹴れず、そのためミスもあり、中央部から右サイドに転じて、スピードと右のクロスの巧さが生きたのだった。
 中澤の場合は、カルツと逆に、右サイドから中央部への守りについたわけだが、この配置変えで、彼が不得手な左足をどのように改修あるいはカバーするか――私はこの25歳の大型セントラルDFの今後に注目している。

(週刊サッカーマガジン2003年8月19日号)

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