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大正末期のショートパス(1)

小5で二・二六事件

 サッカーがわが家に浸透し始めた昭和10年(1935年)頃は、昭和6年の満州事変、続く満州国の建国(1932年)と陸軍一派の強引な大陸政策が進んでいた。
 一方ヨーロッパではナチスがドイツの政権を握り(1933年)、ムッソリーニのイタリアはエチオピアへ侵攻して(1935年)歴史の流れは徐々に第2次大戦(1939−45年)へ傾いていった。

 小学校5年生の2月の日曜日に、満州での戦死者の慰霊祭のために登校し、朝からの降雪のために教室で待っている間に、東京での二・二六事件を知る。私の当時の担任の先生の軍隊時代の小隊長が、事件の首謀者の一人と聞かされた。
 そうした時代でも、私たちの周辺はまだ平穏だった。スポーツも盛んに行なわれていた。というより「1940年オリンピックの東京招致」という願望が、おりからの“富国強兵”“国民体位の向上”という政策にも後押しされて、選手強化にもずいぶん力が入っていた。

日本フートボール大会

 ここで少し年代を後戻りすると、兄・太郎が入学した神戸一中は明治29年(1896年)の創立、同年の寄宿舎の日誌に「蹴鞠会(けまりかい)と称してボールを蹴る生徒がいた」との記述がある。
 もっとも、蹴球部が生まれたのは、広島高等師範を卒業した岩田久吉が着任した大正2年(1913年)。C・B・K・アーガルという英国人教師もコーチ役だった。
 この先生は2年で去るが、生徒たちはKRAC(神戸外国人クラブ)との交流によって、技術や戦術を学んでいった。
 15回生(私が43回生だから、28歳年上になる)の浅井清の回顧によると、「外国人クラブのやり方は、ボールをウイングに回し、ウイングがドリブルして攻め込み、フォワードセンターにパスをして、CFがシュートしていた」。
 大正7年に始まった日本フートボール大会(現・全国高等学校選手権大会)には第1回の豊中大会から参加している。
 大会の発案者は関西在住のラグビー関係者で、大阪毎日新聞社に持ち込み、大阪朝日新聞社と激しい競争を演じていた毎日側は、朝日の中学野球(現・全国高校野球選手権大会)に対抗する冬のイベントを考えたが、ラグビーだけでは参加チームが少ないので、同じフットボールだからと、チームの多いサッカー(アソシエーション・フットボール)を加えることにして新聞紙上でア式(8チーム参加)、ラ式(4チーム)と呼称した。
 ついでながら、同じ大正7年には東京で朝日新聞後援の関東蹴球大会(6チーム)、名古屋でも東海蹴球大会(4チーム)が行なわれている。各地のこうした大会は、その前年に東京芝浦で開催された第3回極東大会に初めて日本サッカーが参加して公式の国際試合を行なった(対中国0−8、対フィリピン2−15)ことが、刺激になっている。大阪の豊中で行なわれた地域大会に日本フートボール大会という名を付けたのは、ラグビー関係者に東京から日本ラグビーの始祖の慶応を招くという計画があったから。
 実際に慶応は西下したのだが、対戦相手が中学校だと知って大会には参加しなかった。毎日新聞は「日本」のタイトルを下ろすことなく、大正15年の第9回大会から予選制を敷いて「全国中学校蹴球大会」となり現在の全国高校選手権の基礎を築くことになる。


体力差を何で補うか

 その日本フートボール大会の第1回から第7回までの優勝は、御影師範だった。日本サッカーの源泉ともいうべき、東京高等師範(現在の筑波大)の卒業生の指導によって、早くからサッカーに取り組んだ各地の師範学校の中でも、神戸市の御影に校舎を置く同校は、一段上の力を持っていた。
 高等小学校から進学するため、中学校チームとは2歳年上という差は単に試合での体力差だけでなく、練習量にも違いがあって、関西の中学チームには御影師範は大きな目標であり、カベでもあった。
 大正14年の第8回大会で神戸一中がその御影を破って優勝。カゲにはビルマ人チョウ・デンの半日の指導で得たショートパス、短くつないで攻め込む技術と戦術の会得があった。


明治/大正のころ

明治6年  東京・築地の海軍兵学寮で英国海軍軍人たちがフットボールを行なう
1873年

明治12年  文部省が体操伝習所設立。後の東京高等師範(現・筑波大)
1879年

明治21年  第1回インターポート。YCAC対KRAC
(1888年)

明治29年  神戸一中創立
(1896年)

大正2年  神戸一中蹴球部設立
(1913年)

大正6年  第3回極東大会・東京芝浦大会に日本サッカー初参加。2戦2敗。
(1917年)

大正7年  第1回日本フートボール大会が大阪・豊中で開催
(1918年)

大正10年  大日本蹴球協会(現・日本サッカー協会)設立。
(1921年)  第1回全日本選手権大会(現・天皇杯)開催

大正12年  関東大震災
(1923年)

大正13年  関東、関西で大学リーグ開幕
(1924年)


(週刊サッカーマガジン2000年3月8日号)

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