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ウェンブリーの大混雑に見た英国人の冷静さ

 それは1923年(大正12年)4月28日、ロンドンの北郊にウェンブリー・スタジアムが建設され、はじめてFAカップ決勝の舞台となった日だった。
 顔合わせはボルトン・ワンダラーズとウェスト・ハム・ユナイテッド。
 完成した競技場は収容力10万人、それまでの競技場とは隔絶した壮大さだった。
 そのすばらしさが宣伝されすぎたのか、会場へ集まってきた人の波は途切れることなく、有料入場者12万6047人と、超満員にふくれあがったスタジアムへ、なお、あとから、あとから人が流れこんだ。入ってくる人に後方から押されて、スタンドからグラウンドへ出ていかなければならなかった。新しい芝生の上にあふれた大群衆のために、試合はとても始められる状態ではなかった。
 しかし、そんな大群衆を、両チームの選手たちと騎馬巡査たちが徐々に整理をした。国王ジョージ5世がご臨席になり、観衆から湧きあがる「ゴッド・セーブ・ザ・キング」の国歌が人々の興奮を冷やした。2時頃には、どうしようもなかったフィールドが、3時45分には試合ができるスペースを確保できた。

 タッチラインのすぐそば、ゴールラインのすぐそばで坐りこんだファンに囲まれ、試合がわずか40分の遅れで開始されたのも奇跡なら、90分を終わってボルトンが2−0で勝つまで、気分が悪くなったり、ちょっとしたケガ人のほかは、たいした事故もなく終了したことは奇跡といってよかった。
 なにしろ、プレーヤーたちはハーフタイムに控え室にもどることもできず、ゴールラインぎりぎりからのパスが、観客の足にあたって(アウト・オブ・プレーが)イン・プレーになった、などという状況だった。

 そんななかで試合が無事に終わったのは、やはり英国人の沈着、忍耐心、冷静さのひとつのあらわれだったといえるだろう。
 だからといって、いまのイングランド人たちが、1920年代に比べて落ち着きがないと、短絡的にいうことはできない。ただ、そうした時期もあったといえるだけだ。


(サッカーダイジェスト 1989年「蹴球その国・人・歩」)

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