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準々決勝と準決勝のはざま 6月24日の今昔物語
ゆくべきか、自重すべきか?
◇6月25日 関空発 9時50分 ソウル着 11時40分 JL 961便
◇6月26日 ソウル発 10時 関空着 11時40分 OZ 112便
◇6月26日 関空発 13時10分 羽田着 14時15分 NH 144便
飛行機もソウルのホテルも予約OKですという書類を前に、しばらく私は考えていた。2002年6月24日、ワールドカップは準々決勝が終わって、25、26日にベスト4の戦いが予定されていた。
第2ラウンドでイタリア、スペインを倒した韓国が、大国ドイツに挑むところを見たい願いと、痛み始めた下腹部“そけいヘルニア”の症状とを睨み合わせての思案だった。昔はこんなところで自重論が出てくることはなかったのに、と思いながら、4年前はどうだったのかと机の引き出しからメモ帳をひっぱり出す。
1998年6月24日、ああ、この日はリヨンのフランス対デンマークの予定だったが、取りやめたのだ。なぜ?マルセイユの助役へのインタビューのアポが取れたので、結局そちらへ行った。リヨンの試合ではフランスはレギュラーの半分近くを休ませて勝った。
5人抜きドリブルの翌日
その4年前、米国大会(6月17日〜7月17日)の6月24日はデトロイトのシルバードームでのスウェーデン対ロシアを見た。この大会で3位になったスウェーデンが3−1で勝った。帰りのタクシーの運転手がエチオピア人で、もちろんサッカー好きだった。
90年イタリア大会(6月9日〜7月8日)のこの日は、ミラノでオランダ対西ドイツ、ライカールトとフェラーが退場処分で10人ずつで、とても面白かった。ドイツの走り勝ちだった。クリンスマンのすごいボレーシュートがあった。
86年のメキシコ大会(5月31日〜6月29日)は、今回と同じ準決勝を翌日に控えて試合のない日だった。私は前日、アステカでマラドーナの5人抜きと、“神の手”ヘディングを見た。その前の日にグアダラハラでは、あのブラジル対フランスの好試合に恵まれた。
スペイン大会(82年6月13日〜7月11日のこの日はまだ1次り−グで、私はアリカンテからマドリードヘ移動していた。4年前のアルゼンチン大会(6月1日〜25日)、参加は16チームでイタリア対ブラジルの3位決定戦、ネリーニョとディルセウのすごいシュートを見た。74年の西ドイツ大会(6月13日〜7月7日)も16チームで、日程に余裕があり、6月24日はデュッセルドルフで1FCケルンの監督だったシュロッツ氏の案内で近くをドライブしていた。
楽しい思い出に下腹部の不快感を少しは忘れたが…。
(週刊サッカーマガジン2004年2月17日号)