賀川サッカーライブラリー Home > Stories > >神戸一中とドイツ菓子ユーハイムで成功した河本春男さん

神戸一中とドイツ菓子ユーハイムで成功した河本春男さん

 2002年のワールドカップ、5月31日の開幕戦から6月30日の決勝までの1ヵ月の取材の跡をたどる「世界一蹴」の連載も第60回、いよいよ準決勝に入るところ。そのセミファイナル最初の試合、ドイツ対韓国(6月25日、ソウル)に入る前に、ドイツに縁の深いサッカー界の先達の話をさせてもらいます。


ユーハイムの河本春男会長

 ユーハイムの河本春男(こうもと・はるお)会長が1月27日に亡くなった、98歳だった。90歳のときに隠居宣言をして、一切、世間と没交渉、健康で悠々自適の生活であったが、年末から体調を崩して病院でリハビリを続けていたところ、肺炎で27日の朝、午前2時ごろに静かに息をひきとられた。
 ユーハイムというドイツ菓子店は、カール・ヨセフ・ウイルヘルム・ユウハイムが神戸に開いた老舗で、もともと1908年に当時ドイツの軍港であった・中国の青島で開業し、第1次大戦で日本が占領(14年)したのち、ユウハイムもドイツ軍人とともに捕虜として日本に送られ、ドイツが降伏(19年)したあと日本にとどまってケーキ製造を始めたもの。第2次大戦直後に没落したユーハイムの再建を頼まれた河本さんは62年から、専務として、社長として再興に尽くし、事業を拡大して、いまの隆盛の基礎を築いた。


神戸一中の黄金期をつくる

 事業の成功者としての河本さんの前半の人生は、サッカーひとすじ、旧制・刈谷中学と、東京高等師範(現・筑波大学)でボールを蹴ることに熱中し、昭和7年(32年)卒業とともに旧制・神戸一中(現・神戸高校)の体育教師となり、ア式蹴球部(サッカー部)の部長となって黄金期を作った。昭和14年に請われて岡山県立女子師範学校へ転任するまでの7年間に、全国優勝4回、準優勝1回。この人の影響は、その後の4年間に及び、明治神宮大会(全国大会)の優勝3度を記録した。戦後第1回のアジア大会(ニューデリー)に参加した日本代表16人中10人が、神戸一中の出身であった。
 卒業生つまりOBと旧制中学生の現役をひとつにまとめた神戸一中蹴球クラブ(神戸クラブ)の運営を見れば、技術指導だけでなく、ひとつの組織を作り上げ、ひとつの目的に進ませる、後半の会社経営にも似ていた。経営者となってから、神戸市協会や神戸FCの会長を長く務めた。隠居生活で世間には出ないと言いながら、ワールドカップの神戸の試合はウイングスタジアムで観戦した。


(週刊サッカーマガジン2004年2月24日号)

↑ このページの先頭に戻る