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サッカーは階層をこえて

 時代の違いを論じることはできないが、1920年代も現在も、イングランドでは、サッカーが大衆のものであり、ときには“大衆そのもの”であることは変わりない。
 もちろん、大衆といっても、必ずしも庶民だけと階層を特定する必要はない。チャールズ皇太子から暴走族、貴族から庶民まで、幅広い階層に愛されるスポーツがサッカーといえる。

 1980年代に、テレビによく登場した英国の刑事物、リーガンという腕ききデカのストーリーのひとつに、面白いシーンがあった。
 ある金持ちの家へ入った2人組の強盗が、両親と少年と縛って金品を奪う。引きあげるときに、若い方の泥棒が少年に聞く。

――坊やはスポーツをやるのか?
「するさ」
――サッカーか?
「違う、ラグビーだ」
――ふん、ラグビーか。

 ただ、これだけの会話だったが、イングランドの感覚がよく出ている。若い強盗がサッカーかと聞いたのは、当然(下層階級の)、彼にはスポーツといえば、まずサッカーが頭にあるから、そして、少年が「ラグビーだ」と答えたところに、この脚本家は、この家が(強盗に入られるくらいだから)金持ちであることをあらわしている。
 もちろん、チャールズ皇太子もサッカー好きだから、少年に「サッカーをやっている」といわれてもいいのだが、サッカーであれば、幅が広いために、この家のレベルがぼやけてくるからだ。
 こういうふうに、イングランドでは、ラグビーやクリケット、あるいはテニスは、いわゆるスポーツのできる階層で、中流以上というふうに考えられる。それに対して、サッカーは階層をこえたもの、国境をこえたもの、といったふうにとらえている。


(サッカーダイジェスト 1989年「蹴球その国・人・歩」)

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