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大久保嘉人「原点に帰れ」

何年ぶりだろうか。奇しくも、日本が世界に誇ったストライカー・釜本邦茂が所属した
同じチームから、本物のストライカー気質を備えた若者が現れた。
スピードに乗ったドリブルは、つねに前ヘ前へと突き進む――。
アテネ五輪、ドイツW杯。次世代の日本代表を担う大久保嘉人の存在に、
いま大きな期待が寄せられている。


 国見高校で高校選手権優勝と大会得点王のタイトルを獲得し、セレッソ大阪に加わって3年目。森島寛晃とともに、すでにチームの顔となり、U−22代表としてはアテネ五輪を目指し、さらにA代表にも選ばれた。どこかにまだ幼さと危うさを残しつつ、大久保嘉人はカミソリのような切れ味でゴールを奪い、観客を魅了する。“俊敏”を絵に描いたような若者とのストライカー問答は――。


国見高校、そしてカズに憧れた少年期

――国見高校での活躍はよく知られていますが、生まれも育ちも九州なのですか。

「そうですね。福岡県でも大分よりの京都郡苅田町です。小学校は南原小学校。ボールを蹴り始めたのは小学校1年生からです。所属していたのは小学校のチームではなく、『苅田サッカースポーツ少年団』で6年間プレーしました。試合には3年生から出るようになって、当時からやっぱり、点を取るのが楽しかったですね。チームは目立った成績を残せなかったけど、6年生のときに、あと1勝で福岡県大会に出られるところまで行きました」

 昔は、福岡県一帯はラグビーが盛んだったが、長崎県の島原商業高校や国見高校が全国大会で活躍するようになってから、サッカーが九州の北部、次いで南部でも盛んになった。そのような環境で生まれ育った少年・嘉人は、国見高校に憧れて、国見中学校に入学した。
――中学校から親元を離れて、合宿生活を始めたのですか。

「はい。部員は70人くらい。長崎県内だけでなく、宮崎県あたりからもサッカーをするために来ていましたね。中学では小嶺(忠敏)先生の指導を受けることはなかったですけど、選抜みたいなものがあって、選ばれた選手が先生に見てもらうことはありました」

――その頃、すでにJリーグは始まっていましたよね。
「小学校3年生のときに始まって、開幕試合のヴェルディ対マリノスはテレビで見ました。Jリーグの試合をテレビで見ていてうまいと思ったのはやっぱりカズさんですね」

――その頃の日本人プレイヤーのなかでは、カズが唯一、きちんとボールを止め、シュートができる選手でしたからね。そう感じるのも当然でしょう。ところで、国見高校は猛練習で有名ですが、一番辛かったのは何ですか。

「走ることですね。ボールなしで走るのは本当に嫌でした。1日に42キロも走るんですから。好きだったのはPK練習です。高校選手権はノックアウトシステムでPK戦になることがあるから、チーム全員で練習するんです。ただ、僕は今もあまりうまくないんですけどね」

――大久保選手のイメージといえばドリブルですが、もちろん、高校のときから得意なプレーでしたよね。

「そうですけど、ボールを相手に奪われるとチームメイトから文句を言われるんです。国見ではドリブルしてはいけないとか、ボールを持ちすぎるなということを言わない。ドリブルはしてもいいけど、取られるのはいけないと言われるんです」

――ボールを奪われるのは悪いが、ドリブルそのものは悪くないというのは、小嶺先生の流儀でしょうね。そういう国見高校からJリーグに入って、練習量はどうですか。

「いや、本当に楽です(笑)。かなり少なくなりましたね」

 高校サッカー界の優れた指導者の多くは、体作りや基礎技術の反復練習に相当な時間を費やす。一方で、Jリーグに入ってすぐに1軍に上がると、戦術的な動きや連係プレーなどに時間が割かれる。そして、監督のなかには自分の目の届く練習時間以外での個人練習を嫌う人もいる。つまり、19歳から22歳という重要な時期に、高校生の頃より練習量が減るプレイヤーが出てくるのだ。練習量は多ければ多いほど良いというわけではないが、この時期に蓄積できるかどうかは、プレイヤーの将来に大きく関わってくる問題だ。


DFライン裏への飛び出し そして、反転シュート

――DFラインの裏へ飛び出すのは持ち味のひとつですが、相手を背にして味方からボールを受けるのも得意ですね。ペナルティエリア内だったら、ボールを受けるときに、背後の相手をどうかわしてやろうかと狙っているようにも見えますが、考えすぎですか。

「いや、それはありますね。閃いたときには、そんな感じのプレーが出ているかもしれません」

――今季のJリーグ1stステージの浦和戦(4/26)で、坪井選手を背にして右へ反転したプレーもそうですか。

「そうですね」

――そういう反転にしても、どちら側へ出たシュートに自信があるのでしょう。やはり右ですか。

「右のほうが得意です。昨年は左へ出るプレーも多かったんですけどね」

――あの試合では、ドリブルで右から入ってきて、急角度で上がるロブボールも蹴っていましたね。あれは、簡単そうに蹴っていましたが難しい技術を要求されるはずですが。

「アキさん(西澤明訓)のように背が高く、ヘディングが強い選手が多いときにはいいかなと」

 それから2回ほど見たが、あの急激に上がるボールなら相手の足が出ていても、それを越えてゴール前へいくから絶妙だ。
――2ndステージの柏戦(8/23)では、相手DFを右へ外してシュートして、左ポストの外へ外しましたね。ちょっとインステップできれいに当たりすぎたのですか。

「あれは右足のアウトにかけるつもりだったんですけど……、蹴った瞬間に『あっ、ヤバイ』と思いましたね。角度がなくてボールを前に置くことができなかったので、とにかくアウトで蹴ったんですけどうまくいかなかったんです」

 あの場面は、シュート体勢に入ったときのボールの位置が自分に近すぎたはずだ。南米の選手のなかには、近すぎる位置からボールが少し前へ(インステップのスイングができる位置まで)転がるのを待ってシュートする選手もいる。つまり、一呼吸遅らせて蹴るのだ。大久保選手は器用なだけに、それをアウトサイドで蹴ろうとしたが、うまく蹴れなかったらしい。こうした失敗の1つひとつを振り返り、ゴール前の一瞬の動き、技術を身につけていくのがストライカーといえる。
――ニアポスト側を狙う気はなかったのですか。

「あの角度では考えませんでした。アウトサイドで蹴って左へ決めるのは、意外と得意な方なんです。」

――それはひとつの型ですね。ただし、右ポスト側からのシュートで左ポスト(ファーポスト)へ決めるのと、もう一つ、ニアポスト側へ蹴ることも覚えれば選択肢が増えますよね。セレッソ大阪(当時はヤンマー)の大先輩、釜本邦茂はこの二つの型を持っていました。彼はまた、相手DFが右足を抑えにかかれば、切り返して左足でシュートを打つのも上手でした。ところで、ヘディングはどうですか、嫌いですか。

「好きじゃないですね(笑)。でも、今季はヘディングの得点も増えているんですよ」

――バロン(前・清水)の加入により、長身の彼に相手DFの注意が向けられて、大久保選手のヘディングの得点が増えるはずだと思っていました。'70年代、イングランドのリバプールでは、長身のトシャックと小柄なケビンキーガンの2トップで、キーガンがヘディングで得点を稼いでいた例もあります。もちろん、トシャックの相手を引っ張っていく動きがあっての得点ですけどね。

「そうですね。うちのチームも早く、そういう得点の形を作らないといけませんね」

――A代表の試合(対パラグアイ・6/11)では、オフサイドにこそなりましたが、素晴らしいヘディングのシュートがありました。あれは惜しかったですね。中村俊輔からのボールでしたが、代表ではやはり、いいボールが来ますか。

「来ますね。来ますけど、ゴールを決めなければ意味がないですから」

――中村選手にしろ中田英寿選手にしても、こちらの動きをよく見ているでしょう。もっとも、マークする相手DFもレベルが高いはずですが、そういう相手とやるときに、ボールの受け方、受ける動きの問題が出てきますよね。Jリーグでもすでに有名になって、マークも厳しくなっているだろうから、そのマークの外し方の工夫が必要になってきますね。

「マークの外し方は、今はそんなに意識していません。DFラインの裏側へ精度のいいボールを出してもらえれば、勝てる自信がありますから」

 大久保選手の特長の一つは、DFラインの裏のスペースへと飛び出したときのスピードであるが、それ以上に、味方が相手ボールを奪って前方にスペースがあるとき、彼の裏のへのパスに対する事前のポジショニングと飛び出すタイミングは絶妙だ。先日のナイジェリア戦(8/20)でも、得点にはならなかったが、その飛び出しは目の覚めるような鮮やかさだった。もちろん、相手DFに引いて守られた場合どうするかは、これから工夫が必要となるだろう。


ゴールを重ね、気分を高める 先輩達が通った道

――A代表、五輪代表、そしてJリーグと試合が続いています。正直に言って疲れているでしょう。

「休みたい気持ちになることはありますね」

 飽きたというほどではなくても、試合に馴れるというか、昔の言葉で倦むという言い方がある。加えて、メディアに「代表のストライカーだ、エースだ」と持ち上げられ、取材も増えてくると自由な時間も制約される。体力的にも気持ちの上でも、張りがなくなる時期は必ずやってくるものだ。どこかでうまく空気を抜くか、あるいは、しゃにむに練習して解決をするか……。しかし、好きでサッカーを始めて職業に選び、一番好きな点を取るというポジションにいる。因果なようだが、結局は好きな道だ。ゴールを奪う技術を高め、ゴールを重ねることで、また気分も高まる。多くの先輩達が、繰り返してきた同じ道だ。
――とりあえず、五輪予選を突破してアテネに行きたいですね。

「行きたいです。まだチームの中でこういうボールがほしいという話し合いをするところまではいっていませんが、これから、そういう連係プレーにも磨きをかけたいですね」

 彼と同じ168cmの小柄なストライカー、ブラジルのロマーリオは、彼が22歳のときのソウル五輪で活躍し、世界に名を轟かした。ゴールを奪うことに血を滾らせる大久保選手にとって、正念場はすぐにやってくる。
 この対談の後、Jリーグの仙台戦(8/30)を戦った彼は、久々に素晴らしい飛び出しでゴールを奪って、裏へ飛び出すという原点を再確認したといえる。長居競技場に響き渡る“ヨシト・コール”を聞きながら、彼の未来の大きさを思った。


大久保嘉人(おおくぼ よしと)
1982年6月9日生まれ。21歳。168cm、61kg。
国見高校3年時に、インターハイ、国体、冬の選手権と三冠を達成する。卒業後、C大阪に入団。3年目を迎えた今季は、17試合に出場し12得点(9月7日現在)。日本人選手では得点王の活躍を見せる。U−22日本代表ではエースとしてアテネ五輪出場を目指す一方で、'03年5月31日の日韓戦でA代表デビュー。類稀なスピードを武器に、レギュラー定着を狙う。


(フットボールニッポン2003秋号)

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