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還暦を迎えた、釜本邦茂 60歳で青少年育成へ

 釜本邦茂もとうとう60歳になった――4月15日夜、大阪のホテルで開かれた「釜本邦茂、還暦記念謝恩会」に出席した。
 人生の配りの一つを迎えるにあたり、いま一度、原点に立ち返り、これからの人生を「世のため」「人のため」に全身全霊を捧げる決意でございます。とりわけ「健全なる青少年の育成」は私にとりライフワークでもあり、また私に与えられた最重要課題と考えております。達成のために今後ともご支援を賜りますよう、心からお願い申し上げます、という主旨のごく内輪の会ということ。招待客は80人ばかり、主賓の長沼健夫妻や、彼の山城高校時代の恩師、森貞男(京都協会顧問)、高校と大学を通じてのチームメートで1年先輩の二村昭雄(Jリーグ・マッチコミッショナー)たちの顔もあった。


ピッチ上の成功、外での挫折

 1944年4月15日午後7時過ぎに生まれた“とき”にちなんで午後7時に開催されたパーティーは9時半まで。ゆっくりフルコースの料理を楽しみながら、選手としての彼の生長にかかわり、いまの少年サッカーの仕事などを応援している人たちのスピーチがあった。今陽子の歌もあって寛いだ楽しい時間だった。隣席の森貞男先生や臼田彬作・大阪協会理事長、大阪商大の上田亮三郎先生たちと話しながら、20歳で東京オリンピックに出場し(24歳でメキシコ五輪得点王)、40歳で現役を引退した、彼の節目、節目に多少のかかわりを持ちつつ、ずっと眺めてきた者として、感慨もあった。
 彼の引退試合を8月下旬にヤンマーの山岡浩二郎さん(故人)とともに計画、開催したとき、国立競技場の満員の観客の前で彼は公式戦最後のゴールを決めた。その後20年、ヤンマーを離れ、少年指導の仕事をし、ガンバの監督を務めた。そのあと参議院議員選挙に出て当選、6年の政治家生活は人生の大きな経験だったが、次の選挙には落選してしまう。
 ピッチの上で挫折を知らなかった彼がさまぎまな試練に出会った20年だったが、サッカーを通じての青少年育成に立ち戻ることになったのは素晴らしい。サッカーで育った釜本がサッカーで働くのは極めて自然なことだ。
 2006年ワールドカップ組織委員長ベッケンバウアーや、すでにクラブ監督として実績を残し、評論家として独特の語り口を持つヨハン・クライフなど、釜本と同世代はピッチの外のサッカー界でも、大きな力を及ぼしている。
 これからの5年、10年の彼を期待し、一人の傑出したプレーヤーの人生のセカンドハーフの45分を眺めてみたい――20歳年長ということも忘れて、私はこう思うのだった。


(週刊サッカーマガジン2004年5月4日号)

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