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楢崎正剛「不動心」

抜群の安定感を誇るこの男が日本代表のゴールを守ることに、異論を挟む人間はもはやいないだろう。
いつしか日本代表の守護神に定着し、気がつけば、日本代表の連続無失点記録を更新中。それは、黙々と静かに歩みを進めた結実である。
そしていま、楢崎正剛はさらなる高みを目指す――。


中学生時代に感じたゴールを防ぐ面白さ

 アテネ五輪代表に現れた新星・平山相太の存在により、日本のサッカー界はいま、ストライカー論しきりである。まことに結構なことだが、日本代表が勝つためには、得点よりも失点が少なくなければならない。7試合連続無失点と、代表記録を更新中の守護神・楢崎正剛に聞いた。

――小学生のときからGKをしていたそうですね。体は大きい方でしたか。

「小学6年生で170p、中学生で180p、高校生のときには今と同じくらい(185m)になってました。体が大きかったので、自然とGKをしていました。蹴る力はありましたね。ピッチは小学生用の大きさですが、ハーフウェイラインまでパントキックは飛んでいたはずです」

――他のポジションの経験はありますか。

「FWをしていたこともあるし、点を取ったこともあります。ただ、相手が点を取りにくるのを防ぐGKに、当時から面白さを感じていました。中学生の頃には、GKの方が合っていると確信しました」

 奈良県の香芝中学で楢崎を指導した津本恵史先生(現・香芝東中学在職)に、当時の楢崎について開いてみた。
「彼が入学してくる前に、少年チームの指導者から、香芝中学にいいGKが入るよと聞かされていたんです。楽しみにしていましたが、噂に違わぬ素材でしたね。1年生のときに、すでに身長が173cmもあって、3年生と同じくらいでした。1、2年生のときには、いろいろなポジションをやらせましたが、FWで出れば点を取るし、GKをやればしっかり守るという感じです。U-14、U-17の関西トレセンへ選抜されるようになって、最終的にはGKで育てた方がいいだろうということになりました。中学を卒業する頃には、身長も182cmはあったと思います。それほど口数は多くなかったのですが、主将を務め、皆に一目置かれて信頼されていました。ただ、彼はサッカーだけではなくて、学業成績も良かったんです。本当にバランスが取れた子でした」

――奈良育英高校では高校選手権に出場し、ベスト4まで進みました。育英高校は、いまでは強豪高の一角ですが、当時は快挙でしたよね。

「優勝した市立船橋高校に負けました。格上と思っていた相手と戦って、何とか勝ち残っていきましたが、準決勝と国立競技場という雰囲気に呑まれてしまいましたね。完敗でした。どこかで、ベスト4で満足した気持ちがあったんですね」

 奈良育英高枚サッカー部監督・上関政彦先生に当時を振り返ってもらった。
「体が大きいだけではなく、頭がいい選手でした。私自身はGKの経験がなかったので、つきっきりの指導はできませんでした。その分、できるだけ基本を、しっかり身に付けるように練習させました。中学生のときにプロを夢見て育英高校を選び、高校を出たらすぐにプロへ入ろうとしていました。大学からの誘いもありましたが、4チームからオファーがあって、結局、横浜フリューゲルス(当時)に入団しました。学業成績は、高校でも全科目で上の下か上の中でしたよ」


痛恨のミスを犯した'01年のフランス戦

 '02年ワールドカップの前年、国際親善試合でフランスと対戦した日本代表は、0−5と完敗した。ゴールを守る楢崎も決定的なミスを犯し、その後、しばらくは日本代表の試合に出場できない状態が続いた。しかし、'02年春のJリーグの試合で、彼は完璧に近いプレーを披露する。その姿を見たとき、私は'02年ワールドカップの正GKは決まりだと確信した。

――フランス戦で決定的なミスを犯した後、調子を戻していったのには、何か特別な要因があったのですか。

「あまり特別なことはないですね。考え方だけだと思います」

――悪いことは忘れて……。

「それはなかなか忘れられないですけど(笑)。まあ、ミスは起こるものだと思ってますから。ただ、してはいけない試合でミスしたなぁと……。そういう気持ちの落ち込みはありました」

 GKはミスをすると1点になる。一方、FWのシュートも同じく1点を左右する大事なプレーである。しかし、GKのミスに比べて、FWはシュートミスをあまり深刻に考えないものだ。以前、元韓国代表の黄善洪と話したときに、彼はこのように話していた。「足ですることだから、シュートを外すことだってある」。こうでなければ、プレッシャーが掛かる代表のCFを、10年も続けられないのだろうと思った。
 
――FWに比べれば、GKのミスは目立ちますからね……。

「Jリーグでは、取り返していく試合が次にあるからいいのですが、代表の場合には、しばらく呼んでもらえなかったりする。(フランス戦から1年近く)代表でプレーできなかった期間は、やはり辛かったですよ」

 インタビュー後に調べると、私が楢崎の復調を確信した試合は、'02年3月16日、瑞穂陸上競技場で行われた対東京X戦(1−0で勝利)であった。当時のトルシエ日本代表監督は、その翌週に行われた対ウクライナ戦で、久々に楢崎を起用した。おそらく、トルシエ監督も同じJリーグの試合を見て、起用を決意したに違いない。ただし、'02年ワールドカップの正GKが誰になるかは、6月4日の初戦、対ベルギー戦まで諸説飛び交っていた。トルシエ監督の気持ちは固まっていたはずだが、直前まで発表しないところがトルシエ流といえる。そのトルシエ流にも堪えた精神力は、楢崎の強さを表している。

――ワールドカップという大きな大会を経て、成長したと感じていますか。

「さぁ、自分のことはよく分からないですよ。どこが上手くなったとかは……。ただ、ゴールを守る仕事は、どの試合でも同じですが、やはり、あの大きな舞台で、しかも地元開催というプレッシャーは凄かったです」

――大会で4試合を戦いましたが、やはり第2戦の対ロシア戦の完封がGKとしては嬉しかったですか。

「どんな試合でも点を取られるのは嫌です。第1戦は(引き分けで)勝ち点1を取れたのは嬉しかったですけど、2点取られましたから……。
同じサッカーですから、どんなに大きな大会でも点は取られたくないんです」

――あのベルギー戦で、得点を決められた(MF・ウィルモッツの)オーバーヘッドのシュートは予想外でしたか。

「そうですね。予想外というか、DFが被ってタイミングが難しかったです」

 予想外のことが一つ起きると、GKの対応はより難しくなる。'02年ワールドカップで、アルゼンチンがカメルーンに負けた歴史に残る試合でも、象徴的な場面がある。この試合では、ゴールを奪ったカメルーンのFW・オマン・ビイクの高さばかりが注目された。しかし、あのゴールは、左からのクロスが誰かに当たって、コースが変わったのがバウンドしたために、アルゼンチンのDFがオマン・ビイクのヘディングに対応できなかった。アルゼンチンのGK・プンピードは、シュートを手に当てながらも防げなかったのだ。リーチ(手の届く範囲)のなかにあったのに、予想外のボールの動きが得点に繋がったといえる。

――ボールの動きが一つ狂うと、GKは大変です。しかし、そんなときも以前よりは落ち着いているように見えます。

「まぁ、慣れというのはあります」

 “慣れ”という簡単な言葉に、さまざまな経験をしてきた強さが隠れている。その経験という点で、ワールドカップは楢崎にかけがえのない大会だったはずだ。
 前述のプンピードをはじめとして、GKには辛い多くのミスを私たちは見ている。'86年ワールドカップの決勝(アルゼンチン3−2西ドイツ)では、西ドイツのGK・シューマッハーがクロスの目測を誤って得点が生まれた。'84年の欧州選手権決勝(フランス2−0スペイン)でも、スペインのGK・アルコナーダがフランスの将軍・プラティニのFKを止めながらも、後方へ落としてしまった。さらに、'02年ワールドカップ決勝(ブラジル2−0ドイツ)で、ドイツのGK・カーンがセービングキャッチの失敗をしたのは記憶に新しい。また、'74年ワールドカップでは、優勝した西ドイツのGK・マイヤーの完璧に近い守りが注目を集めた。しかし、彼はその前年のチャンピオンズ・カップ(現・チャンピオンズリーグ)で大きなミスを演じ、所属していたバイエルン・ミュンヘンが大敗する原因を作った選手だった。GKの失敗は目立つために、長く記憶に残る。ただ、マイヤーの例もあるように、それを乗り趨えることに勝者への道がある。


“動かない”ことが抜鮮の安定感を生む

――'04年2月に行われた日本代表の親善試合、対イラク戦では、DFのミスを相手に拾われ、FWと1対1になった場面がありました。短く前進して位置を取り、そこで動かずに構えているうちに、相手が自滅する形で弱いシュートをして難を逃れました。あのような場面での落ち着いた対応は、持ち味ですね。

「いまでも“じっと待つ”“止まっている”というのは難しいですよ。ただ、動かないことが大事だと思うようになったのは、プロになってから。試合を重ねていくうちに、その方が相手にプレッシャーを与えるのだと実感できたのです。もちろん、コーチが教えてくれたこともありますよ。ひとつひとつの場面によって違いますけど、やはりGKとしては、まず体に近いところへ来たシュートは止めたいですね。不利な状況で、ゴールのスミに決められるのは仕方ないですけど」

――自分のリーチにあるポールを確実に取るためには、動いて逆をつかれるより、止まっていた方がいいということですね。

「そうですね」

――試合後にビデオを見るとき、自分のプレーはもちろんですが、やはり相手のGKのプレーも見ますか。

「見ますね。GKがどう考えて動いているか、大体は分かりますから」

――'06年ワールドカップ1次予選の対オマーン第1戦で、日本代表がロスタイムに力ずくで1点を取りました。あの場面も象徴的ですね。オマーンDFのハリファ・アイルのヘディングが中村選手に当たって、そのリバウンドが再びアイルの脚に当たりました。それが久保選手の足元へきてシュートになりました。それまで、よく防いでいたGKのアリ・アル・ハブシにとっては難しい状況でしたね。

「まず、あんな所にポールが転がるというのは……、パスじゃないから対処できませんね。でも、(久保の)シュートが上手かった。上手かったというか落ち着いていました」

――ピシャリと叩いたわけでなく、コロコロといった感じでしたね。

「(久保が)慌てていたら、(GKにも)チャンスがあったかもしれないですけど、(久保に)よく見られていたから、ちょっと難しかったでしょう」

 久保は得意の左足で蹴る形にもっていった。それでいて、ビューンというシュートでなくて、ゴロゴロという感じで、右スミヘいった。当たり損ねかもしれないが、ともかく、自分の得意の型だから、コースは狙い通りだったはずだ。シュートする側にとっては、一瞬のミスキックのようなものが、意外とゴールになることが多い。

――ミスキックのシュートの方が、GKとしては反応しづらいですか。

「そうですね。素直なボールの方が反応しやすいですね」


GKが主役の場面 PK戦と空中戦

――相手のシュートヘの対応ですが、例えば、PK戦のときのシュートコースを読むのは……。

「よく知っている相手なら、例えばJリーグの選手なら、予備知識があるから……。知らない相手なら、まず全体を見て、助走を見て、最後は軸足を見るのが一番。まずはしっかりと見ること。あとは、読みと駆け引きで跳びます」

――キックのインパクトまでは跳ばないのですか。場合によっては跳ぶのですか。

「なるべく先に跳ばないようにしています。ただ、PKは近いですから、ゴールのスミへ来たら止められないし、跳ぶこともあります」

――外国のGKのなかには、5人のキッカーに対して自分のヤマの掛け方を見せながら、3〜4人目で、そのウラをかいて止めるという選手もいるように思えますが。

「そういう考え方もあるとは思いますが、自分は、一人一人にきちんと対処する方が確実だと思います」

――一般的に、日本の選手は欧州の選手と比べて身長が低いですね。ゴール前での空中戦の不利をどう考えてますか。

「なるべくカバーしようと思っています。ただ、あまり行き過ぎては良くないでしょう。そこは少し難しいけど……。でも、高さの点でDFに不安を抱いたことは、それほどありません。まぁ、しっかり相手FWに付いていてくれれば、問題はないはずですから」

 '02年ワールドカップの対トルコ戦で失点したCKのように、マークがずれてしまうと防ぐのは難しい。だが、身長差のハンディは、手を使えるGKがそれを補えることと楢崎は考えている。とは言っても、そのことを気にし過ぎると、飛び出し過ぎが起こり得る。その一瞬の判断が大切なことは、誰よりも本人が自覚していて、日々の練習で磨いているのだ。
 
 
GKというポジションは常に主将と同じ重みを持つ

――グランパスではGKでキャプテンを務めています。負担に感じることはありませんか(中学、高校と楢崎はキャプテンをしていたが、昔から、ただでさえ責任の重いGKにキャプテンをさせるのは酷だという説もある)。

「キャプテンだからということは、とくにありません。まぁ、ボク的に言えば、キャプテンはピッチの真ん中にいて、いろいろな影響力を与えられる選手の方がいいのではないかと思いますが」

――日本代表の中田(英)選手のような……。

「そうですね。だけど、GKはキャプテンでなくとも、ピッチでは同じような役割を担っていますから。それほど難しいとは考えていません」

――GKはチームの一番後ろにいて、動きをすべて見渡せる。そして、いろいろと指示も出す。そういうポジションにいて、味方がなかなか得点できないと、じれったくならないですか。

「攻めても攻めても点が取れない試合は、何回も経験していますから。まあ、じれったいときもあります。ただ、サッカーは点が入りにくい競技だし、自分で点を取りにいくわけにもいかないですからね(笑)」

 少年期から楢崎を知る指導者たちが一様に口にするのは、「彼の強みは、体の大きさや強さ、機敏さとともに、頭の良さや冷静さといった内面にある」ということだ。プレイヤーには、“見える資質”と“見えない資質”が存在する。つまり、体の大きさや足の速さといった部分だけでなく、すぐには見えない部分(欧州のコーチは、まずインテリジェンスをあげるが……)も大切なのである。ピッチ上ではチームメイトを叱咤しても、外では仲間を批判したり非難はしない。つねに心配りを忘れない彼に、チームメイトが大きな信頼をよせるのも、また自然の理だろう。

――点が入らないという傾向は、日本だけでなく、世界全体に言えることです。これは、選手の技術向上と、守りの戦術が高度になったこともありますが、GKのレベルアップも大きいですね。

「そう言ってもらえると嬉しいです」

――GKのレベルアップは、体格だけを見ても明らかです。'68年メキシコ五輪の日本代表GKだった横山謙三氏は175cm程度。いまの選手は当時と比べると約10cmも大きくなっています。その選手たちが、日頃から専門のコーチ、トレーナーと特別な練習をしているんです。当然、技術も向上するでしょう。一方、FWのシュート練習は少ないですよね。得点するためのフィニッシュの練習が不足しているのです。これは、私だけでなく、デッドマル・クラマーも同じ意見ですよ。最近の試合では、シュートは枠へ行くのが精一杯で、枠へ行ってもGKの正面かリーチ内というのが多くないですか。

「それは、こちら側から言えば、そうさせているということです。DFの追い込みでフリーでシュートをさせないから、たとえシュートをされても、コースは限定されているのです」

――昔のFWは、もっとGKを破るということに気を遣っていました。ただ、現代サッカーは守備が複雑化してマークが厳しいため、まず、どうやってシュートをするかが第一目標になっています。TVで解説者が、“シュートで終わって良かった”などと言っていますが、GKに正面でキャッチされれば、そこからカウンターを食らうことになるのです。シュートすればいいというものでもないでしょう。

「サッカーはゴール前の攻防が一番面白いと、ボクは思うんです。攻撃する側が進歩すれば、こちらもレベルアップして防ぐ。これが醍醐味でしょう」

 相手がポールを持てば守りに入り、味方にボールが渡れば攻めとなる。個人技術が進歩し、DFの選手にも攻撃能力、FWの選手にも守りの比重が大きくなった現代のサッカーでは、攻撃の組み立てや、守りの組織が重視される。それらのチームワークはすべて、相手のゴールヘボールを入れる、自分のゴールヘボールを入れさせないためである。したがって、攻防の最終場面であるゴール前が、一番面白いと多くの人は思う。現に、スタンドの観客が最も喜ぶのは、得点が決まったときや勝ったとき、ピンチを脱したときである。そのゴールを奪うFWは、古い時代からヒーローであり、また、ゴールを守るGKもヒーローであった。
 いつの頃か、日本では“司令塔”などという言葉が流行し、優秀なパッサーを賞賛する時期が続いた。最近になって、再びストライカーの話題が多くなったのは良いことだが、日本に優秀なストライカーが育つためには、そのシュートを防ぐGKのレベルも高い必要がある。楢崎の守るゴールを破ることは、いまのJリーグで、各チームのストライカーの目標でもあるのだ。
 日本サッカー協会の川淵三郎キャプテンは、日本代表で活躍していたときに、ソ連の世界的GK・レフ・ヤシンからゴールを奪い大きな自信を得ている。それは、'64年東京五輪の対アルゼンチン戦で、大逆転劇を呼ぶ同点ゴールの伏線といえた。
 
――いま27歳ですが、これから自分で強くしたいところはありますか。

「足ですね。ジャンプ力もつけたいし、上半身も、もっと強くしたい。これまで大きな怪我もしていないし、まだまだ、このポジションでサッカーを続けたいですね」

――GKは40歳になってもプレーをしている選手がいますからね。

「やれれば、そこまで行きたいですね」

 視力は1.5、歯は検診でも1本が悪いだけという。大きな怪我もなく、「無事是名馬」できたこのGKが、ますます経験を積んで成長する。それは、そのまま日本のGK全体のレベルアップに繋がり、Jリーグの面白さに繋がる。さらに、国際舞台での日本代表の成壊に関わってくる。楢崎正剛には、今後も多くの人の目が注がれるはずだ。


楢崎正剛(ならざき せいごう)
1976年4月15日生まれ。
奈良県三和小学校で、4年生からサッカーを始める。香芝中学から奈良育英高校に進み、高校選手権でベスト4.優秀選手にも選ばれた。'95年に横浜フリューゲルス入団。'99年、チーム消滅により、現在の名古屋グランパスエイトへ移籍。天皇杯優勝2回。Jリーグベストイレブンには3回選出されている。'98年2月15日、オーストラリア戦で日本代表デビュー。日本代表戦39試合出場。


(フットボールニッポン2004春号)

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