賀川サッカーライブラリー Home > Stories > >ニュートン・ヒース・クラブからマンチェスター・ユナイテッドへ

ニュートン・ヒース・クラブからマンチェスター・ユナイテッドへ

 ロンドンの北西304キロに位置するマンチェスターとその周辺は、古くから綿工業の中心地として栄えた。1825年に世界最初の蒸気機関による鉄道が、北東イングランドのストックトンとダーリントンとの間に開通してから50年。マンチェスターの鉄道従業員たちの間でサッカーが盛んになり、1878年に「ニュートン・ヒース・フットボール・クラブ」が設立された。
 1863年、ロンドンのフリーメーソン・タバーンで、ルールの統一を図ろうとFA(フットボール・アソシエーション)が発足し、1871年にはFAカップがスタート。1878年には、12チームによるリーグも始まっていた、クラブは1885年にプロ制度を導入し、1892年にリーグに加盟した。
 仕事が終わってからパブで着がえ、練習や試合をしていたアマチュアからプロが生まれ、週給6シリングを受けるようになった。技術も進歩し、人気も高まったが、オーナーの方針で、試合の入場料を取らなかったため、経営は苦しくなる一方だった。
 1902年「経営悪化のため、クラブは破産」と新聞が報じたとき、もとのキャプテン、ハリー・スタッフォードがクラブへの基金募集のバザールを催した。街の商店主たちに、シーズン・チケットを3シリング6ペンスで売り、また、セントバーナード種の彼の愛犬に集金箱をつけて、会場内をまわらせた。たまたま、バザール会場のドアがあいていたので、外へ出たセントバーナード犬が、この町の有力者の目にとまり、このデービス氏のおかげで、クラブの危機が救われることになる。
 そして、1902年4月28日、マンチェスター・ユナイテッドとしてニュートン・ヒース・クラブは生まれ変わった。


(サッカーダイジェスト 1989年「蹴球その国・人・歩」)

↑ このページの先頭に戻る