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ベルリン・オリンピック そのあとさき(1)

わが成長期は戦時とともに

 日本サッカーにも世界サッカーにも、記念すべき1930年(昭和5年)の翌年、昭和6年4月に、私は小学1年生となる。
 神戸市葺合(ふきあい)区、現在は中央区だが、当時の神戸ではやや東よりの地域、熊内町(くもちちょう)にあるこの学校は、町名の字を変えて、それを音読みにして雲中(うんちゅう)と名乗っていた。
 住宅地のなかにあって、いまでいう進学率の高いところだった。わが家の住所、熊内橋通(くもちばしどおり)二丁目は、その校区ではなかったが、寄留(きりゅう)制度を利用して、雲中へ通うことにしていた。
 幼いころに大きな病気を患ったこともあり、小さくてあまり丈夫でもなく、癇癪(かんしゃく)持ちで、いまでいう「すぐキレる」子どもだった。兄とのケンカに負けたり、気に入らないことがあると、カーテンのボンボン(小さな飾り玉)をちぎって投げるので、母親やお手伝いさんは拾い集めるのに大変だった。
 イジメらしきものにも出合い、2年生の途中までは、なんとなくある男の子の“舎弟”のようになっていた。何かのハズミでけんか別れ(2、3発殴り合って)したのだが…。
 1年生の夏に満州事変が起きる。奉天市郊外の柳条溝で、日本の権益であった満州鉄道の線路が爆破された事件を口実に、日本陸軍が軍事行動に出たのだが、この線路の爆破も、日本側が仕組んだもの。翌年には満州国の建国を宣言、巨大な隣国・中国の東北部の地域を日本の支配下に置こうという、一方的で性急な政策は、やがて中国との全面戦争、そして第2次世界大戦から敗戦へとつながっていく。
 その悲劇の発火が、小学1年のときで、以来14年間、1945年(昭和20年)までの、私の成長期は“戦時”とともにあった。


ロス五輪、南部忠平、バロン西

 もっとも、小学校低学年のころは、戦争の影は直接、まだわが家には及んでいなかった。戦場は中国大陸(その土地の人たちには大迷惑でも)であり、貿易会社の役員をしていた父、陸蔵はすでに40歳、兵役には関係はなかったし、外交関係の悪化した英国との商取引は、まだ続いていた。
 小学2年生のときに、ロサンゼルス五輪で南部忠平の三段跳優勝や水泳の金メダルラッシュ、バロン西竹一・中尉の馬術・大障害飛越での優勝は、華やかなニュースだった。
 もっとも、このときにはサッカーは開催されていない。ブロークンタイム・ペイメント(休業補償)を受けることがアマチュアであるかどうかの結論が出ないままに、投げ出してしまった感がある。
 中華民国に追いつき、次はオリンピックと意気込んだサッカー人にはショックだったが、一般的には大きなニュースとならなかった。昭和5年のキャプテン、竹腰重丸(たけのこし・しげまる)が、それまで口にしなかった酒を飲むようになったのは、このときからだが…。


青島とドイツ・シェパードとサッカー

 小学3年から4年にかけて、弱々しかった体が丈夫になった。癇癪持ちの性格が、次第に落ち着いてきた。いまから思えば小学2年のときに、わが家にやってきたシェパード犬「ゲティ」との暮らしが影響したのだろう。
 当時、日本ではドイツ・シェパードが流行になり始めていた。この犬の性能に注目した陸軍が、ドイツに範をとって、“軍用犬”としたこともあった。もっとも、わがゲティは、ドイツ本国から血統書付きでやってきたのと違って、中国の青島からの系統――第1次世界大戦のときに、ドイツの海軍基地が中国の山東半島の南側の青島にあって、それを日本が攻略した。そしてこの青島から多くのドイツ文化が日本に流入してきた。シェパード犬もその一つだった。
 このときのドイツ軍捕虜が、徳島の板東収容所で第九交響曲を演奏したのが、いまの日本での“第九の合唱”ブームの始まり。また、広島の似島(にのしま)の収容所にいたドイツ軍捕虜たちとの交流によってレベルアップしたのが、広島のサッカーで、昭和5年極東大会の日本代表CF手島志郎は、その広島が生んだ名手だった。
 そして神戸の名菓、ユーハイムもまた、青島でドイツ菓子の店を経営していたカール・ユーハイムがドイツ軍人と同じ扱いで、日本に送られてきたことに起因している。
 そんな因縁のある青島のシェパード犬が、母親の友人宅で子供を生んだ(ご主人は中国航路の船長さんだった)。生後2ヶ月となった1匹をもらってきたわが家では、そのころ、極東の日本までの飛行の速さを競っていた世界のパイロットのなかから「ゲティ」という名を選んで命名した。
 大きくなっていく彼の運動のために布引の山を歩き回り、ときに犬小屋で一緒に寝たりしていた私に、青島にも縁のあるサッカーが徐々に近づき始めていた。


(週刊サッカーマガジン2000年5月31日号)

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