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ベルリン・オリンピック そのあとさき(2)

皇太子誕生、中京・明石25回戦

 小学3年生の昭和8年(1933年)12月23日に、皇太子、現在の天皇が誕生――。
 NHKテレビの連続ドラマ“葵(あおい)三代”で、三代秀忠に男子が生まれないので、皆が心配するくだりが再三出てくるが、天皇家でも当時は3人の内親王が続いた後だったから、「皇統を継ぐ」男子(皇太子)の誕生を、メディアも国民も待っていた。奉祝の旗行列や、祝賀会が催され、奉祝歌も生まれた。
 前年5月15日、陸海軍将校による首相官邸襲撃――いわゆる五・一五(ご・いち・ご)事件で犬養毅首相が殺害され、三陸大地震、滝川幸辰教授らの追放と、いささか暗い世相のなかでの皇太子誕生は、格別の明るいニュースだった。
 この年、私たちのもう一つの大きな話題は、夏の甲子園(全国中等学校野球選手権大会)の準決勝で、中京商業と明石中学が、延長25回を戦ったこと。
 私はその翌日の決勝、中京商対平安を父とともに見に行った。前日25回を投げた中京商の吉田投手が、この日も平安を2安打1得点に抑え、2−1で勝った。中京商はこれで3年連続優勝。吉田投手は、3年生のときからマウンドを守り、3連覇の中軸だった。
 小学5年生になると、わが家の興味は野球からサッカーに傾く。2歳年長の兄が、神戸一中へ入学し、サッカー部(ア式蹴球部と言った)の部員となったからだ。このいきさつは、連載のNo.2と3で紹介したが、それまで野球好きだった父・陸蔵が自慢の息子のために、見事にサッカーにくら替えしてしまう。
 おかげで、私はその年の春の兵庫県下の中学1年生大会から付き合わされ、大谷四郎主将のチームの全国優勝、さらには大学リーグまで、見ることになる。
 5年生の3学期の2月26日、陸軍の将校とその部下によるクーデター、二・二六事件が世間を驚かせた。このニュースが伝えられ、戒厳令が敷かれた東京と同じように、神戸にも雪が積もった。私たち5年生は、満州事変での戦死者の慰霊祭に出席するために(日曜日なのに)登校し、降雪のために準備が遅れて長時間、待機させられたから、このクーデターは雪景色とともに記憶されている。


サッカーとラグビー、二宮組の不運

 サッカーとともにラグビー観戦の機会も増えた。隣の河本春夫先生(神戸一中サッカー部)と同居の生徒の一人、金子彌門(かねこ・やもん)が、ラグビーのFBでも出場したのが、関心のきっかけとなった。
 もっともこのことは、中学サッカーが夏、ラグビーが冬と分かれたからでもあったが…。
 昭和5年から甲子園南運動場に定着した全国中学校蹴球選手権は、昭和10年から会期を夏に移した。五輪のサッカーが夏に行なわれるから、というのが理由のようだったが、このために昭和10年1月に行なわれるはずの大会は中止となり、昭和9年度の神戸一中は不敗の戦績を誇りながら、全国選手権を見送ることになってしまった。私より7歳上の、二宮、笠原、津田たち7人の当時の5年生は、のちにすべてが日本代表候補となる実力者、師範や中学校相手では負け知らず。インターハイ優勝の第六高等学校、全国高専大会優勝の神戸高商にも勝った。
 関西学生ナンバーワンの京大に挑戦して、0−1で負けたが、当時の日本代表のGK金沢宏から1点取りたかったと、本気で悔しがったという。この世代は、のちに1940年の東京五輪返上という、選手としての盛期の目標も消滅する不運をも経験する。
 その金子彌門をFBとするチームは、全国中学ラグビーの準決勝で、最強とされていた秋田工業と同点、抽選勝ちを得ながら、決勝で天理中に敗れた。もし勝っていたら、この人はサッカーとラグビーの中学日本一、ダブルチャンピオンになるところだったが。
 兄のためにわが家の予定が神戸一中のスケジュールに沿うようになり、次男坊の私も、神戸一中へ進むのが当然という空気に包まれながら、6年生になる。ベルリン五輪の年でもあった。


小学生から中学生へ

昭和6年(1931年)
◎関西蹴球協会設立
◆4月   雲中小学校入学
◇8月   満州事変起こる
◎10月   大日本蹴球協会(JFA)機関紙創刊号発行
◎12月   関東大学リーグで東大優勝(6連覇)

昭和7年(1932年)
▽4月   河本春男、東京高師を卒業、神戸一中サッカー部副部長
◇5月   陸海軍将校による首相官邸襲撃、5・15事件
◇7〜8月 ロサンゼルス五輪、南部忠平ら活躍
◇7月   ドイツ総選挙で、ナチスが第1党に
◎12月   関東大学リーグで慶応が初優勝

昭和8年(1933年)
▽2月   全国中学校蹴球選手権で神戸一中が3度目の優勝
◎2月   第1回東西選抜対抗(全関西6−3全関東)
◇8月   夏の第19回全国中学校野球選手権準決勝で中京商と明石中が延長25回戦
◇12月   皇太子(現・天皇)誕生
◎12月   関東大学リーグで早大が優勝(昭和11年まで4連勝)

昭和9年(1934年)
◎5月   第2回ワールドカップ(5・27〜6・10 イタリア)
◎5月   マニラでの極東選手権、日本代表は1勝2敗
◇9月   室戸台風 死者不明、3万
◇10月   ベーブルースらアメリカ大リーグ選抜チームが来日

※◆私、◎サッカー、◇社会、▽神戸一中


(週刊サッカーマガジン2000年6月7日号)

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