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ベルリン・オリンピック そのあとさき(3)

ベルリンの奇跡とクラマー

 1936年(昭和11年)8月4日、ベルリン五輪での対スウェーデン逆転劇、3−2の勝利は、ベルリン大会での最もセンセーショナルなニュースとして、ヨーロッパ人を驚かせた。
 のちに日本代表を指導するとともに、日本サッカーに大変革をもたらしたデットマール・クラマーは、1960年に初来日したとき、少年時代にこの逆転勝利に大きな衝撃を受け、日本人やヤマトダマシイというものに興味を持ったと語っている。クラマーは、私より1歳年少で当時11歳のはずだが、その当事国である日本では、サッカー人にとっての大きな喜びであっても、一般的には陸上の三段跳びや長距離の村社選手、あるいは前畑ガンバレの女子水泳二百メートル平泳ぎの金メダルほどには、強いインパクトを与えなかった。
 それは、日本でのサッカーの普及度が低かったこともあり、メディアが「五輪のメーンは陸上競技と水泳」と決めてかかっていたことや、メダル至上主義的であったことなどにもよるのだろう。雲中小学校6年生であった私には、このニュースが話題になった記憶はない。
 ベルリン大会で、私に最も大きな影響を与えたのは、マラソンの孫基禎(ソン・キジョン)の優勝。わが家の周囲の路地を、何周かするマラソンごっこがしばらく続いたものだ。


ベルリンより別勉強

 もっとも、6年生の夏の私は、遊びに熱中している暇はなかった。兄に比べて体も弱く、授業時間はなかでも集中力の欠ける私が、丈夫になったのを見て、母親・寿美が勉強をさせようと思い、担任のA先生と相談して家庭教師(当時は別勉強と言っていた)にS小学校のS先生を招くことにした。
 ベテランのS 先生のマン・ツー・マンの指導は、じっくりと理解させ、理解すると反復演習――一日置きの夕食後2時間のこの勉強のおかげで、自分でもどんどん知識が身に付いていくのが分かった。
 夏休みは毎日、同級生のM君とともに(それぞれ交互に相手の家へ通い)午前中4時間――。M君の父親は、外国の銀行に勤めている国際人で、庭にはゴルフのショット練習用のネットが張ってあった。
 その集中的な勉強のおかげで、夏休み最後の6年生の実力テストは、男女通じて1番になった。雲中小学校から神戸一中へは、毎年30〜40人が受験し、20〜30人が入学するのが恒例だったから、試験を受けるためにも、日常の成績が大切だった。母親の狙いは的中したのだが、これはS先生の指導力が一番大きかったと思う。


シェパード犬の訓練

 受験勉強以外に6年生の夏、サッカーへの思い入れが少なかったのは、この年の神戸一中が全国大会に出られなかったこともある。前年の大谷時代の優勝メンバーから、卒業で抜けたレギュラーは4人だけ。5年生にはのちに旧制高校時に日本代表候補に選ばれた西川正義、和辻春夫など、優れた選手を持ちながら、兵庫県予選で敗退してしまった。隣家の河本春男先生宅に同居していた西川選手の消沈した姿が、いまも目に浮かぶ。
 南甲子園へ通うこともない6年生夏休みの後半は、勉強以外はシェパード犬のゲティと一緒だった。そのころから来てくれるようになった訓練士のTさんとともに、布引にある徳光院というお寺へ出かけ、そこでTさんの訓練ぶりを横から見ていた。
 家人では結局、甘やかして犬の"しつけ"ができないものだが、専門家によってゲティが主人の左側を歩き、決して前へ出ないこと、待てと言われれば長時間でも待つようになること――を知った。
 S先生とT訓練士、二人の指導のプロフェショナルは、のちに私がサッカーの指導にかかわるときの指標となるのだが、このころは、まだ、そういう未来図を描くことはない。神戸一中から陸軍士官学校へ進み、軍用犬の仕事をしたいなどと考え始めていたのだが…。


小学生から中学生へ(2)

昭和10年(1935年)
▽◎1月 全国中学選手権大会は夏に移行するため中止
◆4月  兄・太郎が神戸一中へ。私は雲中小5年生に
◇4月  満州国皇帝来日
▽4月  神戸一中、4度目の全国優勝
◇10月  国勢調査によると、日本の総人口9769万人。内地人口6925万
◇10月  イタリアがエチオピア侵入

昭和11年(1936年)
◇2月  日本職業野球連盟結成
◇2月  皇道派陸軍将校とその指揮下部部隊のクーデター(2・26事件)
◇7月  スペイン内戦始まる(フランコ軍反乱)
◇7月  第12回五輪の東京開催(1940年)決定
◎8月  第11回ベルリン五輪。日本が3−2でスウェーデンに勝つ
◇10月  英国エドワード8世が王位放棄宣言(シンプソン夫人と結婚)
◇11月  日独防共協定締結
◇11月  フランコ軍マドリード包囲

昭和12年(1937年)
◆4月  浩・神戸一中へ
◇4月  朝日新聞の神風号が訪欧飛行へ(4・5〜4・9)
◇7月  盧溝橋で日本と中国軍が衝突。日中戦争始まる
◇8月  上海でも日中両軍が衝突
◎8月  全国中学蹴球選手権で神戸一中が準優勝。優勝は埼玉師範。優勝旗が初めて箱根を越えて東へ
◇11月  日本軍が杭州湾に上陸。全面戦争へ
◎11月  関東大学リーグで慶応が優勝(昭和15年まで4連覇)
◇12月  日本軍、中国の南京を占領

※▽神戸一中、◎サッカー、◇社会、◆私


(週刊サッカーマガジン2000年6月14日号)

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