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マンチェスターサポーターのふる里「オールド・トラフォード」

 1907〜1908年のシーズンにリーグで初優勝、1909年にはFAカップ優勝、1910〜11年シーズンに、2回目のリーグ優勝と、実績を重ねたのはアーネスト・マングノール監督の手腕によるが、1910年の新スタジアムの完成は、クラブにも、サポーターにも最大の喜びだった。
 マンチェスターからマージー河を結び、リバプールまで航行できる「マンチェスター・シップ運河」のストレットフォード側に、当時の6万ポンドという大金で建設されたスタジアムは、オールド・トラフォード・スタジアムと呼ばれ、以来80年、熱狂的なマンチェスター・ユナイテッドのサポーターのふる里となる。

 新スタジアムのコケラ落としともいうべき対リバプール戦で、初ゴールを記録したのは、サンディン・ターンブル。彼のゴールは歌にまでなった。
 このころのマンチェスター・ユナイテッドは、まことに生き生きとし、希望に燃えていた。しかし、第一次大戦(1914〜1918年)で、マンチェスター連隊の兵士としてターンブルは戦死する。
 大戦が終わり平和が戻っても、マンチェスター・ユナイテッドが栄光を取り戻すのは簡単にはいかない。1部の優勝どころか、1922年には2部へ落ち、25年に1部に戻ると31年には、また2部へ落ちるといった調子だった。

 このころから第二次大戦(1939〜1945年)にかけてが、クラブにとっての暗い時期。1941年3月11日、ドイツ空軍の爆撃でオールド・トラフォードのメインスタジアムも破壊された。


(サッカーダイジェスト 1989年「蹴球その国・人・歩」)

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